最後の試合

最後の試合

 

GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)では、entering(なる・はいる)というプロセスがあります。

自分以外のものとして生きてみる、感じてみる、その席に座るということをGAPの探求では使います。

今日はいろんな席に座った一日でした。

息子が今日、部活を引退しました。

バスケットのインターハイの予選、多分今日は負けるだろう、負けたら引退だよね。と言っていて、でも今日はGAPのクラスがあるので、どう考えても観に行けなかったのですが、なんと今日のGAPのクラスが私が念じたわけでもないのに7月に延期になって、試合を観に行くことができました。

 

クラスがなくなったので午前中は、GAPのティーチングスタッフと会うため築地へ。

クラスをやるために借りていた場所を使って、ティーチングスタッフの4人で一人一人が探求をしました。

GAPのクラスをやるという立場になると、自分たちが自身の探求をする時間がなかなかとれずにいるので、相当貴重で有意義な時間でした。

GAPにそしてクリスに出会って、一緒に探求してきた日々が私に与えてくれたものは数知れず。

クリスが作る大きなフィールドの中で、私は生きる喜びや、生き物としての感覚や、自分や自分以外の生きとし生けるものに対する愛を知ったし、そのが私の人生を生きやすくしたのが分かるから、このワークを長年続けてこれたんだと思う。

自分の探求でその席に座ると、その感覚が簡単に蘇り、あっと言う間に体中を巡りました。

その生き生きした感覚。

広い広い空間。どんなに自分がのびのびしても大丈夫なくらいの。

 

私は自分が教えるのが向いているとか全然思わないし、人に伝えるということは、自分の苦手な「言葉」を積み重ねて、一歩一歩理解していく、ちまちました、全く持ってしちめんどくさい作業だな。。。。と思います。

私がもう一つ座った席は、この地道な席。からだも、その地味さに身が閉まる。。。

人に伝えるというとき、「言葉」だけでは足りないのだけど。

そして本当は言葉よりももっと大事なエッセンス、もっとシンプルな「生き生きした感覚」に出会うために、遠回りしなくちゃいけないというのは、私にとっては根気がいるしジレンマだし、苦手なことです。

でも全くやり方を知らない人に「飛んでみろ!」っていうような乱暴なことはしたくないので、今はきっと苦手なその地味でちまちましたことを、学んでいくときなのでしょう。。。

ここ数年、それをやっている気がします。。。。GAPでもバイオでも。

解剖学も、学ぶことで見えてくる景色にぐっと色と細密感が増したしね。

 

ところで、息子の試合!

午前中で、クラスミーティングを抜けさせてもらってダッシュで開催校へ!IMG_2575

相手が強豪だったこともあり、残念ながら負けてしまいました。

試合の観戦めっちゃ面白かったし、応援も選手もみんな輝いていた。

終わった瞬間に、息子も含め三年生がみんな泣いていて、ぐっと来てしまった。3年間朝練も夜練もやすまず、土日も長期の休みもほとんどの時間をコツコツと真面目に通ったバスケ部。

とびぬけて身体能力が高いわけでもないけれど、みんなとプレーするのが好きなのがよくわかった。

3年生はしばらく放心して座り込んでいたけれど、そのうち元気を取り戻してじゃれあってふざけ合っていた。

そんな姿を見て、また涙。。。

もっと沢山観に行ってあげて熱心なお母さんやってあげればよかったと思わなくはないけど、天から与えられたギフトのように、最後の試合を観れてよかった。

暑かった学校の体育館に長時間居たせいか頭痛を感じながら、この感覚って息子がソフトボールをやってたころ試合を観に行って長時間外にいたときの感覚だ!とそれさえも懐かしかったのでした。

 

 

 

 

 

 

ー2の治療

ー2の治療

最近旬なマイナス2の治療。

マイナス2の話を聞いた次の日に、いつもボディワークをやっている施設に行きました。

3年間、月に一度はワークしていたのですが、繋がったという感覚が作れなかった方がいました。

重度の自閉症と知的障がいの男性。

障がいの重さというより、彼のフィールドの中に全くという程入れてもらえない。。。

それが、マイナス2を実践して、共にいたら、彼の方から指を伸ばしてくれたのです。

しばし、手を指を使って、私たちがハートとハートでコミュニケーションをした時間、、、、至福でした。

中庭で、芝生の上で、周りにはスティルネスが満ちていて。

インド人がここにいたらシャンティシャンティ(平和という意味のヒンディ語)というでしょう。

ってくらい、素敵な時間でした。
その後、大阪の解剖学のクラスでもマイナス2の実習がありました。

膀胱の自動力のワーク。

結構がっつり膀胱に触れて、そこから+2・+1・0・-1・-2と順に降りて行くのです。

そのマイナス2を講師の人は 「この部屋にいない感じ」と言いました。

また別の人は「海の底のつるっとした床の上で2人(クライアントと)で座ってる感じ」

と言っていました。

次の日に福岡のバイオ勉強会で全員でこれを2パターン試して見ました。

とてつもなく深かった。

その2つのマイナス2は全然違う感覚でしたが。

マイナス2にいてそこで待っていると必要な治療が起こるのです。

そこはエゴを手放した領域。

勉強会で、安定してその場所 にいて、その起きて来ることを疑いなく受け取めることが出来て大きな収穫でした。

問いを投げかけると即座に答えてくれるということも分かったし。

バイオの深さにまた出会いました。

バイオはただの手技療法ではなく、スピリチュアルな実践なのだと改めて思いました。

バイオダイナミクス。。。。あまりに深くて飽きることがない学びです。

つちのこやのボディワークについて

つちのこやのボディワークについて

谷保の古民家で、月に2回「親と子のためのボディワーク」をやっています。

なにをやるのかよくわからない。。。。という方が多いので、書いてみます。

ここは、国立のはじっこにある素敵なお家です。

庭も広く、昼間は子供たちが駆け回っています。ランチに美味しい韓国料理も食べれます。

「つちのこや」というのは、子供やお母さん(お父さんも!)の居場所スペースです。

親子共にのんびり過ごせて、子育て情報交換もできて、わらべうたや様々なワークショップをやっています。

私は、夕方~の3時間個人セッションをしてます。

ここでやる意味は、心身の発達や、子育てに悩むお母さんたちや子供たちの健康をサポートするためです。

すでに病名を持っていたり、問題を抱えるお子さんも診ますが、「うちの子、こんな感じで心配なんだけど・・・そしてそのことを考えると私も不安になるんだけど。。。」っていうお母さんにもセッションします。

ナンディルームのセッションよりも若干短いですが、料金は半分以下です。

若いお母さんたちに気軽に来ていただける場所であればいいなと思っています。

以下は、フェイスブックに書いたお誘い文です。↓

つちのこやでのセッションは予約フォームの項目にありませんので、メッセージ欄に書いていただくか、mail★nandi.jp(★を@に換えてください)にてご予約ください。

 

「普通に見えても、お母さんって結構ギリギリなんだよね」

3月から「つちのこや」でのお母さん、お父さん、子供のためのボディーワークやっています。
初回に受けてくれた今年小学生になる男の子のお母さんが「ボディワークってもっとハードルが高いものかと思ってた。。」と言ってました。
心身の発達に不安を抱えるお子さん、そして心身に不調を抱える方へ。というタイトルなので、「重症じゃないと来れない」という捉え方をしている方も多々あるのかもしれません。

その方が「普通に見えても、お母さんって結構ギリギリなんだよね・・・・」と言っていました。
私もかつて小さい子をもつお母さんだったので、よ~~くわかります。
外で働いていてもそうでなくても、お母さんはほんとに忙しい。。。
赤ちゃんの頃はおぶって家事をしていたし、ある程度大きくなっても、お母さんはずっと忙しい。聞いて~~、聞いて~~、とずっとついてくるし、寝るときは絵本読みながら、いつも寝ちゃって、絵本が顔に落ちて「痛てっ!」ってなっていた。
子供をケアすることが中心になって、自分のケアはなかなかするチャンスがない。
家族関係や、職場、ママ友、そして学校。
社会の中でのコミュニケーションもうまくいかないときもあるだろうし、バランスを崩すのは全然特異なことでもなくて、誰にでも起こりうる。

「ボディワークって何ですか?」とよく聞かれますが、からだの時間は、自分のための時間です。
そして、触れる、触れられるということはとてもパワフルです。
私は特養で介護士もしているのですが、最近ターミナルで死に向かっている女性の食事介助に入りました。
その方は、もう目があちらの世界に行っていました。
もう全然嚥下が駄目だったので、食事をあきらめて、その人の胸のあたりに手を置きました。

触れた途端に、からだは変化しだします。
固まって動きを失っていた胸が動きだし、呼吸が変化します。
もうあの世にほとんど行っていてもです。
沢山の死にゆくお年寄りに触ってきましたが、どの方も、もれなくその人の存在を感じて触れると、からだは変化し始めます。

触れるということはパワフルです。

つちのこやでのセッションには、触れるということに馴染みのない人、マッサージや整体などを受けたことない人にも受けてみて欲しいなと思います。
そして、3回は続けて受けてほしいなあと思います。

からだが変わればこころは変わります。

つちのこやでのボディワークは月二回、第1、第4水曜です。

17時~

18時~

19時~ になっていますので、第二希望までお書きください。

 

おとな3000円(1時間 カウンセリング込) 子供1000円(中学生以下 30分)

場所 やぼろじ つちのこや 国立市谷保5119

http://hatakenbo.org/infomation/tutinokoya_start_20170127

 

 

 

内臓って。。。

内臓って。。。

からだって頑張っているのだなあ。。。と改めて思う、今日この頃。

今月で10回20日間の解剖学のクラスも6回目。

今回は泌尿器でした。

前回の呼吸器で聴診器なるものを初めて使いました。

オステオパシーの先生の中には聴診器使う人もいるらしいです。聴診器、欲しくなってしまった。

それで肺や心音や腸の音を聞いてみる。

心臓はしっかりした音だけど、それ以外は思ったよりささやかな音。

耳を澄まして静かに腸の音を聞く。

それぞれの部位で、そしてそれぞれの人で全然違う音が耳を澄ました先にはある。

私たちは気づかないだけで、からだはいつも生きて呼吸して、動いている。

骨や筋肉は外側から手でがっつり触れるけど、内臓は筋肉や脂肪や、膜ごしにしか触ることができない。

実技では、その奥にある腎臓や膀胱の動きを感じる。

腸をがっつり持って緩めたりもする。

面白すぎる!

内臓に問題があったり機能不全のクライアントさんにもより的確に働きかけれるというのが解剖学を学んでいく醍醐味だなあと思います。

学びに全然終わりは来ないらしいです。。

解剖学のクラスの後、続けてバイオの勉強会にも参加したのですが、そこでは-2の治療の話がトピックとしてあがりました。

-2の力で触れる。

バイオでー2と言ったら、とんでもなくマイナスなのです。

普通の手技のマイナスとは全然レベルが違うマイナス。。。。

その話を聞いていて、思い出したことがあります。

自閉症の人たちにボディワークをしているのですが、普通にスタジオでやってる触れ方だと、もれなくみんな嫌がって逃げていくのです。

この前、ある方の背中に手の甲で触れたとき、敏感な彼女はそれを受け入れてくれたのです。

私の手の平がマイナスになっていなかったのだなあと。

透明度が足りなかったようです。ああ、でも気づけて良かったです。

-2の手、-の在り方。学びはまだまだ続きます。

 

 

4月23(日)GAP1ディのお知らせ

4月23(日)GAP1ディのお知らせ

GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)では、基礎クラスを月一で開催しています。

GAPはプラクティスであり、セラピーではない。

そこがこのワークのキーです。

じゃあ、何をするの?って思うかもしれませんが、それは、この人生を通しての問いかけのようなものです。

GAPに出会ったとき、これは一生を通じて学んでいくことだなあと思ったのです。

分析も、判断も、解釈もせずに人といれるか?そして自分といれるか?

自分に起きていくこと、周りに起きてくることと、どう共にいるか?その在り方を学んでいく、この1ディでは、その基礎を一緒に探求していきます。

今回のテーマはGAPの三宝(気づき、選択、信頼)のうちの「信頼」です。

プロセスに従う、邪魔しないとはどういうことか?を体験を通して学んでいきます。

お申し込みはオープンセンスのHPからになります。

ぜひ一緒に探求しましょう!

4月23(日)10時~17:30分

場所都内

詳しくは上記のHPをご覧ください。

どんなものにも居場所がある

どんなものにも居場所がある

朝、いきなり電話がなった。

田舎の友人から、幼馴染の男の子が亡くなったと。

突然のことすぎた。

保育園から高校までずっと一緒で、沢山一緒に遊んたその友達の死を知らされてもなかなか実感がわかなかった。

20年以上、会ってなかったから。

仕事が一段落つきセッションルームの木の椅子に腰かけて、その友達の保育園からのあだ名を声にだしてみたらどっと涙があふれた。

5~6年前クリスのGAPのワークで「死んだ人について悼む、話す」というのをやったときに、私のどこにそんなに涙が入ってたのか!と自分でも驚くくらい泣けて泣けて仕方がなかった。

山で亡くなった友人と、介護で関わった90過ぎのおばあちゃんについての思い出を話しているときだった。

どちらも死に目に会えなかったので、「悲しむ」という回路がフリーズしたままだった。

私の亡くなった幼馴染はガンだったらしい。看護師をしていて、仲間や後輩から慕われていたらしい。

結婚をして、子供もいたみたい。

私の中のその友達は、やんちゃですっとぼけていて、ユニークで、いつも憎まれ口を叩いたり、ふざけ合ったりした。

小さいころは、兄弟のようによくプロレスごっこやゲームをしたものだった。

高校の頃も、二人とも数学がだめな落ちこぼれで、赤点の追試の前に一緒に勉強したりした。

でもお互いに全然わからなくて、結局勉強にならなかった。。。

私のことをいつも「ブー!!」って呼んでいた。はは。。。

彼が職場で慕われていたのが良くわかる。

いつも冗談を言ってるようだったけど、ハートは暖かく優しい人だったもの。

この世にいなくなったなんて、本当に信じられない。

でも、どんな悲しみにでも、痛みにでも居場所があると教えてくれたのはGAP。

こうやって、泣いたり、思い出したりする充分な時間と空間を持てたことを嬉しいと思う。

だって、この世で出会えたことは宝物だから。

きっとあの世で痛みから解放されて、のびのびしていることだろう。

若くして亡くなった、彼の弟に会えただろうか?

キムチ、沢山の笑顔をありがとうね。