アイヌ刺繍

アイヌ刺繍

一泊二日で長野に行って来ました!
四辻藍美さんのアイヌ刺繍の展示とワークショップを受けに。
藍美さんのアイヌ刺繍に出会いは、私の住んでいる国立にあった伝説の居場所図書館&ギャラリーを運営する小池さん夫妻のプランターコテッジ。

長屋を土壁で塗り、改装したかっこいいスペースは、藍美さんのアイヌ刺繍にぴったりでしたそのかっこよさにしびれて、アイヌ刺繍ワークショップをやる時は足繁く通ったものでした。
小池さんたちが長野に移住して、蔵を自ら改装した「図書館&ギャラリーマゼコゼ」を始めてそこでも藍美さんの展示をやって長野は10年目だと言う。
11月って例年なぜか忙しいのでいつも行けずじまいだったのですが、10年目の今回こそはと思い、早朝高速バスに乗って行ってきました。

久しぶりに見る藍美さんの作品、素敵過ぎ!
和紙に刺繍したという新作も素晴らしい!
このセンスと色合い、生き生きした作品たち。元は最中工場だったというこの場所にまるでずっと飾ってあったようなフインキ。本当に観させていただき感謝!
そして久しぶりにアイヌ刺繍をやりました。
ステッチとかかなり忘れてたけど、しばらくやると手が覚えていて、するすると進んで行く。
この手が知っているって言うのはバイオダイナミクスでも同じですね。

手仕事は瞑想でもあり、そして、初めての人とも針を進めながらおしゃべりしたりが楽しい。

昔の人もこうやって女同士、手仕事をしながらよもやま話をしたんだろうな~~。

藍美さんにも、マゼコゼのつねちゃんに会うのもすご〜く久しぶりだけど、久しぶり感が一瞬で消えてしまい、まるで一週間前に話したよね~~という感じでした。

夜は近所の源泉掛け流し温泉に行って(ちなみに朝も)からだに沁み沁みでした。

良い温泉は良いセッションを受けたくらいの効果があります!

その温泉は、ちょっと昭和的なフインキで、ロッカーも一部壊れていたりするんだけど、食堂では温泉水も飲めて、スープのような滋味。

ここのところずっと忙しくて、なんだか仕事しかしてない感じだったんだけど、たまには遊ばないとダメだなと痛感しました!
図書館&ギャラリーのプランターコテッジが国立にあった頃は、時間がある時にふらっと行くと店主つねちゃんがいつもいて、喋ってると誰かしらがやってきて、知らない同士の繋がりが出来たり、縁が広がったり、情報交換したり、仲良くなったりしてたものでした。

最近国立の誰とも会ってない気がしてた んだけど、プランターコテッジのような場所があるってやっぱり貴重だなあと思った。
そして、店主つねちゃんは相変わらず美人でした。
アイヌ刺繍熱、、、、また沸いて来たわー。
お近くの人もそうでない人もマゼコゼ是非行ってみてください。長野善光寺そばです。

 

アイヌ刺繍の展示は11月30日までだそうです。アイヌ刺繍図書館&ギャラリーマゼコゼアイヌ刺繍

博多まで新幹線で

博多まで新幹線で

10月の三連休の初日は、恐ろしい台風が来ましたね。

被害に遭われた方々、大丈夫でしょうか?どうぞ必要なサポートが得られますように!

ちょうど三連休の土日が九州でのバイオダイナミクスの勉強会でした。

父の介護帰省で月に一度は福岡に行っているので、博多での勉強会は出来るだけ参加しているのです。

土曜の朝に飛ぶ予定だったので、1週間ほど前からハラハラしていましたが、木曜に欠航が発表されてしまいました。

さてどうするか?もう前日に新幹線で行くしかないねと勉強会の講師のOさんとやりとりをし、急遽金曜のホテルを取り、もちろん新幹線の指定が取れなかったので仕事終わりに早めに東京駅へ。

が甘かった。。。。。。

東京駅は改札にも入れない程人で溢れていました。

皆考える事は同じだったのですね。。。。博多行きの最終は18:50分

改札も階段もホームも人で溢れ、身動きが取れない。。。。汗だくで必死の人たち。

うーん、なんとか自由席の手前の車両の4号車から入ってダッシュで走り席をゲット!

廊下も車両の間も人で溢れ、乗り込むまでに時間がかかり相当遅れて電車は発車。

トイレにも行かずに我慢してたのですが流石に持ちそうもなかったので、京都辺りでぎゅーぎゅーの人の間を縫って勇気を出してトイレへ向かうと、車両の間は特に混雑していて、何とトイレの中にも2人、他人同士がいました(しかも男女、、、)

そんなこんなで博多に着いたのは、日付が変わった夜中の1時でした。

普段こんなに夜更かししないのですけどね。

2日間の勉強会は有意義な会でした。

九州の人たちといるとなんか落ち着くんですよね~~(九州じゃないひともいますが)

日本にも海外にもその地方独特の言葉があり、文化があり、食べ物がある。旅をしてても、その地方の味や方言に触れるとなんだか嬉しくなっちゃうんですが、これは旅好きに共通の感覚なんじゃないかと密かに思っているのですが。

勉強会のあとは、一人暮らしの父と数日を過ごしました。

母が逝ってしまって、一人になってしまった父は、会うたびに少しづつ命の力を失っている気がします。

数日を一緒に過ごして、話したり、一緒にご飯を食べたりしていると段々元気になってくるのですが、また次の月に行くと、枯れている。。。その繰り返しで切なくなります。

今回は、父が腰痛で草取りも十分にできなかったために、荒れた庭を主にやってきました!大量の落ち葉の掃き掃除とか、草取りとか。

東京では、どっちもあんまり好きじゃないのに、今回はなんだか楽しかったな~~。

なんたって落ち葉の香りが天然のアロマなのです。

葉っぱによっても匂いが違うし、ココナツのような甘いにおいが、庭の一部の場所からも匂ってくるのです。何だろう???

そのあたりを捜索したのだけど、結局なんの匂いかは判明せずだった。。

ココナツに近いけど、ココナツよりも甘いあの香り。多分花じゃないと思うのだけど。。それを嗅ぐと胸が温かくなるのです。

あとは猪にほとんどを持っていかれた残りの栗の実で栗ご飯を作ったりもしました。(手を切ってしまったけど。。。)

他にも苦手な税金関係の申告書類を作ったりもしてたのですが、これは計算するたびに数字が違ってくるので、書類が棒線だらけになってしまったけど、、、そしてまだ提出できず、、、次回こそは!!

お墓参りも行ったし、今回のショートトリップもなんとか無事に終わりました。

天気が悪いからあんまりよく写らなかったけど、お墓はすごく気持ちの良い場所に立っているのです。

実家まで遠いけど、なんだかいつも確実に癒されてます。

 

風に吹かれる

風に吹かれる

まいにち色々ありすぎて、何がなんだかわからない日々。

そんな中でも無事「ケア&タッチ」のワークショップ終了しました。

10人で無事温かな輪を囲むことが出来ました。

参加してくれた皆さま、ありがとうございました!

午前中はセルフケアを中心に、じっくり自分の話をする時間も取りました。

午後は、ケアしたい相手に対する実践的ワークをしました。

それぞれバックグラウンドが違う方々の症状も違う人たちへのケアを短い時間でやるのってハードル高かったですが、みなさんのプレゼンスでいい感じの場になりました。

今度は、パーツ毎(下肢、上肢、骨盤、背中、肩首とか)のワークなどやれたら良いなあと思ってます。

今回日程が合わなかった方々も是非次回は一緒にからだの時間を過ごしましょうー。

実はケア&タッチは自分に一番必要なことかもしれないなあ。。。としみじみ。

専門的なケアをやってもらうのは、プロにお願いするのが良いと思うのだけど、このワークショップで目指すのは「家庭の医学」

自分でセルフケアを日常的にやることや、家族や友人が、おしゃべりをするようにお互いにケア出来る日常があればいいなあ、、。と思うのです。

ところで、先日セッションが終わってクライアントさんがまだ休んでいるときに台所で一息ついていたら、前の道路で「大丈夫ですか???」という大きな声が何度も聞こえました。

心配で外に出てみると、目の前の道路で、人が倒れている。。。どうもバイクで走っていて壁に激突したらしい。

意識を失っていたので、ヘルメットを外してすぐに頭をホールドして安定したポジションで救急車を持つことに。

てんかんの発作か、薬のせいかよくわからないけど(受診券と薬が入っていた)頭はヘルメットで保護されていたので、どうやら大丈夫そう。

クライアントさんを置いたままで、、、。やれやれ。古くからの慣れた方でよかった、、、。

それにしても、周りにいた人の連係プレー、、、。引っ越し業者のトラックの方は道路整理をし、前の家のおばちゃんは救急車への電話。通りかかった女の子は鋭敏?な聴覚の持ち主なのか「サイレンの音こちらから聞こえてきてます!」とかいち早く音を聞き分け。。。

救急車が来たのでその場を離れましたが、この前も家が分からなくなった認知症のおばあちゃんを保護したり、最近多いなこの感じ。

そしてそして、いつかやらかすだろうと思っていたけれど、帰ってきたら家の鍵を持って出るの忘れてたパターンで家に入れない。。。

息子がしょっちゅう同じことをやっていて、それを見習って台所の小窓から棒を突っ込んで鍵を開けるという荒業をやろうと思ったんだけど、小窓自体があかない。。。(後で聞いたら換気扇の羽の脇から棒を突っ込むらしいです、、とほほ)

こんなこともあろうかとカギを預けてある友人宅へ、TEL。

丁度電車でこちらに向かっているところだったので、我が家の階段で30分ほどぼーっと待つことに。

そしたら、こんな風に外でぼーっとすることがしばらくなかったなあと。

風に吹かれて夕焼けの空を見ながら、ぼーっとする時間、それがどんなに心地の良いことか!なんだかすごく気が休まる時間でした。

みなさん、忙しい時も立ち止まって、風に吹かれましょうね~~~(鍵を忘れるのはオススメしないけど)

 

 

 

 

 

 

カモシカに出会った!

カモシカに出会った!

カモシカ先週、青梅に遊びに行ってきました。

青梅在住の帽子作家の良子ちゃんと、青梅で自然農の畑を長年実践し畑の会を主催している真紀ちゃんに会いにいきました。

そしてその畑は、私が賢治の学校ってところで自分の探求をしていた頃に数回行ったことのあるのです。

その畑に行くのは実に20数年ぶり!

おんなじ畑とは思えないくらい、素敵に変貌していました。予報は雨だったにも関わらず、予想外に晴れた山の畑、気持ちよかった~~。

雨の多い今年でも、健気に育つ野菜たちの見学をさせてもらうと、鹿よけネットの向こうにお客さんが。。。

カモシカでした!

カモシカが畑にやってくるとは聞いていたけれど、こんな昼間(夜行性ではないらしい)に会えるなんて!

牛好きの私は、偶蹄目に目がないのできゅうううん。。。となってしまったのだけど、ネットも飛び越えて畑に入ってしまって、困っているらしいです。。

かわいいんだけど、、、私たちはネットの中にいて、その外ではもぐもぐ葉っぱを食べてました。

「その草で充分じゃない!畑に入ってこなくても!」とカモシカに話しかける真紀ちゃん。でもおいしいんだろうな。。。

そのあとは、みはらし台と呼ばれている丸太の上で、三人で1時間ほど気づきの基礎のワークをやりました。

青空や、頬に当たるそよ風や、お日様が何よりのサポートでした。

そして、名栗と呼ばれる場所までドライブして、ランチ、そして、温泉!

せせらぎの湯、、、、すっごく気持ちよかった!!

一日たっぷり青梅ツアーを満喫しました。

次の日起きたら、からだも頭もめちゃすっきりしていた。

自営業だけに、休みの日も半分仕事みたいなことをしてしまっているね~~、とは三人に共通することだったのだけど、やはり休みはしっかりとって、自然の中で自分の命の洗濯(と温泉に浸かる)はやらないといかんな~~と思った一日でした。

*網の間のカモシカ、、、、見えるかな???

 

 

成人!

成人!

金曜で息子が20歳になりました。

遂に大人になってしまった息子。。。

誕生日の日は、息子と二人でギリシャ料理を食べながら、合法的にビールを飲みました。

息子と飲む日が来るとは!

一人で子育てして、偉いね、、とかよく言われますが、全然一人ではなかったなと。

親は福岡の遠隔地だったので、日常的に子育てに関わってくることはなかったですが、近隣の友人はじめ、保育園で出会ったママ友にも大変お世話になりました。

国立市は「ひとり親ホームヘルプサービス」なる大変素晴らしい制度があって、子供を家で面倒みてくれたので、色々勉強してた時代、子供が小さい時は大学生のお兄ちゃんに遊んでもらったり、ご飯作ってもらったりしていました。

耳にピアスをごちゃっ、ってした若者がやって来た時があって、ちょっとビビったのだが、帰ってきたら、洗濯物がめちゃキレーに畳まれていて、焼きそばのクオリティが高すぎた。。。

彼のご両親は障害を持っていて、小さいころから家事をしっかりやってきたのだという。

先生を目指す大学生のお兄ちゃんのことが気にいって、いつも彼に来てもらっていたときもありました。

彼の家では節分にお菓子を撒くらしく、一度節分の日にそれをやってくれたことがあって、それ以来お菓子撒きが節分の行事になってます。

彼は、徐々に人生に迷い出し、悩みを聞くこともあったのだが、今や我が息子が同じように人生に迷っている。

沢山の人に支えられて、励ましてもらって、息子に優しくしてもらって、今がある。

息子の名前「タシ(太志と書きます)」はチベット語で吉兆という意味なのです。

チベットでは挨拶が「タシデレ」っていって「あなたに吉兆を捧げます」というような意味で、相手に吉兆が来ますように。的なニュアンスを含みます。

なので、「タシ」という名前を誰かが呼んでくれることは、私にとっては生きとし生けるものへの祈りのようなものなのです。

息子は大学生だけど、このまま大学にいてもいいのか?とか、自分の本当の道はなんなのか?ということに悩みながら生きてます。

悩みがないふりなんてせずに、迷っているということを言えるってすごいなって思います。

息子や私に関わってくれた全ての人に感謝します。

 

祈り4

祈り4

母のグリーフ(悼み、悲しみ)のワークを出来たのは、奇しくも私の誕生日の日でした。

その日を、自分の生まれた日というよりは、母が私を産んでくれた日と言う風に私には感じられました。

肉体があって、この世でこの地球上でいろんな旅をさせてもらえる。悲しみも喜びも体験させてもらうのは、母が私を産んでくれたからなのだと思うと、その日の朝は感謝の気持ちで一杯でした。

生きているときには、そんな風に思ってはいなかったのだな、、、と思うと申し訳ない気もしました。

その日はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の経験者だけの1ディで、私は自分がじっくりと充分に時間を取って母に向き合う必要を感じていました。

自分自身の感覚にゆっくり触れていくとすぐに、胸が痛くてちぎれるようで涙がどんどん出てきました。

私が最後に見た母の姿は、人工呼吸器を挿入された母の姿でした。

その姿の痛々しさがどうしても頭から離れず、母を思い出すときはその姿がフラッシュバックしてきて、元気だった時の母の姿や、笑顔を思い浮かべることが出来なくなっていたのです。

GAPのやり方では、何にでも座布団に置いて直接話しかけることが出来ます。

その人(人以外でも、動物、建物、景色、夢の中に出てきたものでも、死者にでも)を目の前の座布団に置いて直接話しかけるという行為は、お互いの間に直接的な関係が出来ます。

母を目の前の座布団に置いただけで、ごめんね。。。という言葉と思いがあふれてきて、どんどん涙が出てきました。

母をあんな姿にはしたくなかった。自分の力でもっと元気にしてあげたかった。。。

それが叶わぬまま、母を逝かせてしまったことは、私の中の痛みとして大きく残っていました。

辛い気持ちの自分を一旦おいて、今度は母の座布団に入りました。

GAPではそれをenteringといいます。(自分の考えや見方を一旦自分の席において、座布団に置いた存在に入ること)

母になると、その座布団の上の母は人口呼吸器を挿入した母ではありませんでした。

若い時の母のように活力にあふれている母ではなく、老人になった母でしたが、穏やかでした。

その母は、私に向かって、「ひろみ、ごめんね、お母さんも死ぬとおもわんやったから、びっくりした。からだに気を付けて、風邪ひかんようにね。」

と言ったのです。

思えは母は私の心配ばかりしていました。若いころは、その心配がうっとうしかった。病気になって、自分のからだがしんどいときも、しばらく電話しないと、風邪でもひいているのじゃないか?と心配ばかりしていました。

座布団の上の母は、そんな母でした。

自分の席に戻って、その母の声を聞くと、今度は温かい涙があふれてきました。

そして、私の中の母が、生き生きした母に変わりました。

今も、時々空の上に母を感じると涙がでます。

料理や片付けがめっぽう苦手で、プライドが高く、人の目を気にして、すぐグダグダ悩む。

癇癪を起したり、わがままを言ったり、なんとも人間らしく困った母でしたが、母は私の大事な「お母さん」でした。

命に終わりがあることは、知っていたけれど悲しいものです。

呼吸が苦しく毎日大変だった5年間、本当にご苦労様、大変だったねと言いたいです。

治癒ということの何が正解か、未だに私は探求中です。

ただ、母が死を持って見せてくれたものが、まだ言葉や形にはならないけれど私の中に息づいています。

それを私が、命を輝かせ生命を全うしようとする、生きとし生ける誰かをサポートするために使えるように、この両手を使って、また精進していこう。ね、おかあさん。