トンレン瞑想

トンレン瞑想

7年前の3月11日、事の重大さわからぬまま、私たちは今は無き国立の図書館&ギャラリーのプランターコテッジに集まっていました。

居場所があって、心が通い合う友人がいる事がひたすら有難かった。

その後、この場所で、「1日まるごと原発ディ」というチャリティイベントを企画しました。

その時、みんなでやったトンレン瞑想を紹介します。

私も今日やりました。

最初にこの瞑想を教わったのはGAPの先生のクリスからでした。

仏教の慈悲の瞑想。

この瞑想は呼吸を使います。

やり方はシンプルで、吸う息で、痛みや苦しみ悲しみなどを吸い込みます。

今も避難している人たち、家族を亡くした悲しみや痛み、汚染してしまった土地や、生き物の苦しみなどを吸う息と一緒に吸い込みます。

今度は吐く息で、自分が持っている温かさや優しさ、慈悲の心や、今までに受けた愛情、や美しいものイメージや風景などを、呼吸に乗せて、その痛みのある場所、人、生き物などに向けて差し出します。

吸う息で苦しみを吸い込み、吐く息で優しさを差し出す。

この循環を繰り返します。

自分のタイミングで、今度はあるがままの呼吸に戻ります。

そして、そのあるがままの呼吸としばし共にいます。

もしも興味のある方はやってみて下さいね。

息子の卒業

息子の卒業

先日は息子のタシの卒業式でした。ものすご~~く寒かっ他木曜日。

「花々のつぼみも膨らみ、春の気配を感じる季節になりました」とみんなが挨拶していて、おいおい、原稿そのまま読むんじゃないよ!と突っ込みたくなったくらいです。

数日前に初めてのパーマをかけた息子。

あまりにくるくる過ぎて(本当は天パでずっとヘアアイロンでセットしていた・・)パンチパーマみたいだから直してくると次の日に戻しにいったのだけど戻り切れず、、、、

前日登校の日に生徒指導の先生に見破られ「お前パーマかけただろ、明日はきっちり7,3に分けてこい」といわれてしまいました。

私はどーでもいいだろ、最後だしと思ったんだけど、そこは、気の小さい息子(だったら卒業してからパーマかければいいのに)、朝からスプレー買いに行ったりバタバタで写真もろくにとれず。。。
卒業式は寒すぎて、外でも撮れず。。。

そんなこんなでしたが、無事に高校まで卒業できました。

息子や私に、少しでも関わりのある全ての人に感謝の気持ちで一杯です。

子供は、親のちからでもなく、周りの人や社会の中で育っていくのだなあと、子供を育ててみて実感しています。
この国立の温かな環境で子育てできたこと、感謝しています。

今日も、小学校から高校まで同じ学校だったお母さんに「タシは、なんかいつもやらかしてるよね、見るたびに。。
運動会の騎馬戦の時も、終ったら先生に首根っこ掴まれて連れていかれてたし(暴言を吐いて、説教されてた・・・)タシはなんだか、、かわいいとこあるから、先生もかまいたくなるんだよ」って言われてじーんと来ちゃった。

道で会っても、お母さんたちが「あ、タシ大きくなったね」って声をかけてくれて、そんな中で育っていけたこと本当にありがたく思ってます。

息子に直接会ったことない人も、なんとなく身近な存在で気にかけてくれる、そのこともすごく嬉しいです。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

この春無事に大学生になります。

志望校には落ちてしまって、本人的には不本意ですが、これは始まりに過ぎないし。

ここから好きなことを見つけて突き詰めていってほしいなあ。

(なんだか、営業にいくサラリーマンみたいな写真になっちゃった・・)

100才のひと。

100才のひと。

私のもう一つの仕事場で100歳のおばあちゃんが亡くなった。

脳幹出血、100歳でした。

その日の昼間も中庭で一緒に洗濯物を干し、植木鉢の中に雑草を見つけると即座に抜き始め、出てきた新芽に「元気に育てよ!」って声をかけていたのに。

終戦の日が誕生日で、100歳のお誕生日の日には、息子さんと職員とお祝いして歌って踊った。

職員のほうが張り切ってしまって、1か月くらい前からこっそり手作りお祝いグッズを準備していた。

感情が豊かで、お祝いの花を見ては泣き、手作りの久寿玉や旗を見ては泣き、炭坑節を調子っぱずれに歌っていた。

トイレの介助をしても、洗濯をしても、食事が運ばれてきても、いつも「ありがとよ」と必ず言ってくれた。

若いころからお蚕をやり、機織りをし、畑仕事をして、うどん打ちが得意で、地域の婦人会のリーダーだったらしい。

関東大震災も経験していた。5歳くらいだったらしいがおばあさんに言われて大柱に捕まっていたって言っていた。

ご主人はいい男だったが大酒のみだったらしいが、その話を聞いたことはない。

一度粗相をしたことがあって、「死んだ方がましだ」をウォーウォーと大泣きしていた。

新しい利用者さんがくると、「茶だしてやんな」と仕切っていた。

手作業で色塗りをやってもらうとすごい集中力で、色合わせを考えつつ、素敵なセンスで塗っていた。

一日に何度も、帰るとか、菜っぱ取ってくるとか、雨が止んだから峠越えるとか、風呂沸かしてくるとか言い出し、私たちを困らせた。

普通に別れたその日の夜中に、あっという間に逝ってしまった。

もうあの笑顔を、優しさや、明るさや、ちょっぴりエロくて、ユーモアに富んでいて、そんなおばあちゃんに会えないことがとても寂しい。

彼女がいた部屋の窓から見えるところに湧水があってそこには大きな木があって、車いすにのって窓から外を眺めていた。

亡くなった後、荷物が片づけられたその場所に立つと、下では子供達が遊んでいて、木が風にそよそよと揺れていた。

その風の中に彼女がいる気がした。

青い空の下、軽やかに優しく風に乗ってそよいでいる。

ああ、全てのものは一つなんだなってことが少しだけわかった気がする。

誰もかれもが、すべての生きとし生けるものが、宇宙の一つの現れなんだな。

お別れはないんだな。

この雨だれの一つ一つ粒の中に彼女がいる。

昨日はお通夜で、棺の中の彼女はまるで生きていた時とおんなじ顔で、まるでただ眠っているだけのようだった。

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

いつも私たちに言ってくれたように空に向かって言ってみた。

 

 

 

夏休み

夏休み

昨日で夏休みも終わり。

今日からセッションを再開しています。

息子と二人実家に帰った夏。

2人で出かけるのも久しぶりだし、高3で部活も引退して毎日塾通いで、普段がっつり喋る機会もないので、なかなか楽しい道中でした。

2人だとトイレとか行くのも、順番に荷物持ってもらったりして楽だなとか。いつもは一人で移動することが多いので、そういうのも楽しかったし、しっかりしてきた息子を頼もしく思ったり、発見も多かったです。

高校に入ってから部活三昧で、実家に帰る機会のなかった息子にじじ、ばばを会わせることができて、ミッション完了!

私は実家で息子を産んだので、赤ちゃんの時はほんとお世話になったし、夏休みごとに私はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の合宿で、息子を一人で飛行機に乗せて預かってもらってた。

「小1で、飛行機乗ったとき、もうすごい辛かった。。。。」と今回の旅でも飛行機の中でチクチク言われましたが。実際、一人でさめざめと泣いてて、隣の人や、スチュワーデスさんに慰めてもらってたそうで。。トホホ。

申し訳なかったな~~~。とは思うけど、もう一度息子が7歳に戻ってもきっと同じことをしちゃうでしょう。。

実家では、母にセッションをし、家の掃除をしまくり、早寝をするといういつものルーティーン。

母の介護を父が担ってるので、掃除まで行き届かないのです。

後何度、こうやって家族みんなで会うことが出来るのかな。。。と思うとちょっと切ない。

バックパッカーで旅をしてた頃、長期滞在した場所で旅人が次の目的地に向かって去っていった時、そして自分がその土地を離れるときも、もう2度と会えないかもしれない切なさに、胸が締め付けられたし、楽しかった時間と人を失ったそのぽっかりと空いた穴が、時間が経つことで薄まっていくのさえ悲しかったのだけど、そう思うと、人生は全て一期一会だなと思います。

旅にいても、町にいても同じ時間は二度とない。

今ここ。

一瞬一瞬が貴重な時だなあ。。。ダラダラのんびりしているときも含めて!

ちなみに、初めてペットホテルに預けたインコのすーちゃん無事でした。でも乗られたときの体重、軽くなった気がする。

きっと7歳の頃の息子のように、不安で寂しい思いをしたんだろうな。ごめん。。。

最後の試合

最後の試合

 

GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)では、entering(なる・はいる)というプロセスがあります。

自分以外のものとして生きてみる、感じてみる、その席に座るということをGAPの探求では使います。

今日はいろんな席に座った一日でした。

息子が今日、部活を引退しました。

バスケットのインターハイの予選、多分今日は負けるだろう、負けたら引退だよね。と言っていて、でも今日はGAPのクラスがあるので、どう考えても観に行けなかったのですが、なんと今日のGAPのクラスが私が念じたわけでもないのに7月に延期になって、試合を観に行くことができました。

 

クラスがなくなったので午前中は、GAPのティーチングスタッフと会うため築地へ。

クラスをやるために借りていた場所を使って、ティーチングスタッフの4人で一人一人が探求をしました。

GAPのクラスをやるという立場になると、自分たちが自身の探求をする時間がなかなかとれずにいるので、相当貴重で有意義な時間でした。

GAPにそしてクリスに出会って、一緒に探求してきた日々が私に与えてくれたものは数知れず。

クリスが作る大きなフィールドの中で、私は生きる喜びや、生き物としての感覚や、自分や自分以外の生きとし生けるものに対する愛を知ったし、そのが私の人生を生きやすくしたのが分かるから、このワークを長年続けてこれたんだと思う。

自分の探求でその席に座ると、その感覚が簡単に蘇り、あっと言う間に体中を巡りました。

その生き生きした感覚。

広い広い空間。どんなに自分がのびのびしても大丈夫なくらいの。

 

私は自分が教えるのが向いているとか全然思わないし、人に伝えるということは、自分の苦手な「言葉」を積み重ねて、一歩一歩理解していく、ちまちました、全く持ってしちめんどくさい作業だな。。。。と思います。

私がもう一つ座った席は、この地道な席。からだも、その地味さに身が閉まる。。。

人に伝えるというとき、「言葉」だけでは足りないのだけど。

そして本当は言葉よりももっと大事なエッセンス、もっとシンプルな「生き生きした感覚」に出会うために、遠回りしなくちゃいけないというのは、私にとっては根気がいるしジレンマだし、苦手なことです。

でも全くやり方を知らない人に「飛んでみろ!」っていうような乱暴なことはしたくないので、今はきっと苦手なその地味でちまちましたことを、学んでいくときなのでしょう。。。

ここ数年、それをやっている気がします。。。。GAPでもバイオでも。

解剖学も、学ぶことで見えてくる景色にぐっと色と細密感が増したしね。

 

ところで、息子の試合!

午前中で、クラスミーティングを抜けさせてもらってダッシュで開催校へ!IMG_2575

相手が強豪だったこともあり、残念ながら負けてしまいました。

試合の観戦めっちゃ面白かったし、応援も選手もみんな輝いていた。

終わった瞬間に、息子も含め三年生がみんな泣いていて、ぐっと来てしまった。3年間朝練も夜練もやすまず、土日も長期の休みもほとんどの時間をコツコツと真面目に通ったバスケ部。

とびぬけて身体能力が高いわけでもないけれど、みんなとプレーするのが好きなのがよくわかった。

3年生はしばらく放心して座り込んでいたけれど、そのうち元気を取り戻してじゃれあってふざけ合っていた。

そんな姿を見て、また涙。。。

もっと沢山観に行ってあげて熱心なお母さんやってあげればよかったと思わなくはないけど、天から与えられたギフトのように、最後の試合を観れてよかった。

暑かった学校の体育館に長時間居たせいか頭痛を感じながら、この感覚って息子がソフトボールをやってたころ試合を観に行って長時間外にいたときの感覚だ!とそれさえも懐かしかったのでした。

 

 

 

 

 

 

どんなものにも居場所がある

どんなものにも居場所がある

朝、いきなり電話がなった。

田舎の友人から、幼馴染の男の子が亡くなったと。

突然のことすぎた。

保育園から高校までずっと一緒で、沢山一緒に遊んたその友達の死を知らされてもなかなか実感がわかなかった。

20年以上、会ってなかったから。

仕事が一段落つきセッションルームの木の椅子に腰かけて、その友達の保育園からのあだ名を声にだしてみたらどっと涙があふれた。

5~6年前クリスのGAPのワークで「死んだ人について悼む、話す」というのをやったときに、私のどこにそんなに涙が入ってたのか!と自分でも驚くくらい泣けて泣けて仕方がなかった。

山で亡くなった友人と、介護で関わった90過ぎのおばあちゃんについての思い出を話しているときだった。

どちらも死に目に会えなかったので、「悲しむ」という回路がフリーズしたままだった。

私の亡くなった幼馴染はガンだったらしい。看護師をしていて、仲間や後輩から慕われていたらしい。

結婚をして、子供もいたみたい。

私の中のその友達は、やんちゃですっとぼけていて、ユニークで、いつも憎まれ口を叩いたり、ふざけ合ったりした。

小さいころは、兄弟のようによくプロレスごっこやゲームをしたものだった。

高校の頃も、二人とも数学がだめな落ちこぼれで、赤点の追試の前に一緒に勉強したりした。

でもお互いに全然わからなくて、結局勉強にならなかった。。。

私のことをいつも「ブー!!」って呼んでいた。はは。。。

彼が職場で慕われていたのが良くわかる。

いつも冗談を言ってるようだったけど、ハートは暖かく優しい人だったもの。

この世にいなくなったなんて、本当に信じられない。

でも、どんな悲しみにでも、痛みにでも居場所があると教えてくれたのはGAP。

こうやって、泣いたり、思い出したりする充分な時間と空間を持てたことを嬉しいと思う。

だって、この世で出会えたことは宝物だから。

きっとあの世で痛みから解放されて、のびのびしていることだろう。

若くして亡くなった、彼の弟に会えただろうか?

キムチ、沢山の笑顔をありがとうね。