祈りその1

祈りその1

 

3月1日に母が急逝しました。四十九日を終え、母はお墓に収まりました。

天気が良い時には霊山の英彦山も見渡せる、眺めの良い場所に母の遺骨を納めて、ひと段落着いたと同時に、もっと頻繁に帰ってあげればよかった。セッションしてあげたかったという後悔があります。

この思いと共に、今からの人生を生きていくのでしょう。そして必要な誰かのためにこの両手を使って行きます。

自分への備忘録として、徐々に母の死のことを書いていきたいと思います。

2月27日の夕方、ケアマネさんから母が救急搬送されたという一報をもらったときは、まだ自分の母がこの世からいなくなるという実感がわきませんでした。

自転車で移動しながら、ありのままの現状を話してくださいとお願いすると「救急隊員の方が心臓マッサージをしていました」というので、すぐ家に帰ってなんとか病院に連絡をとると父が一言「もう脈が止まりよう」というので、とりあえずのものをバックに詰め、姉と息子に電話しました。

ベランダから見送る息子が、「まだ死ぬと決まったわけじゃないから」と言ってくれました。

実家は福岡なので、空港に向かいながら震える手で予約を取り、その日の夕方以降のクライアントさんに片っ端からメールをしていきました。

飛行機の中では、スチュワーデスさんに、母が危篤だから一番に出して欲しいと言うかどうかをずっと考えていて、でも結局言えませんでした。

空港を出て、タクシー乗り場まで走って「OO病院まで」というと、察した運転手さんが「急ぎですか?」というので「そうです」と言うと「じゃあ、近道をしますね!」と言ってくれてそれを聞いた途端に涙があふれて止まらなくなりました。

タクシーの中でずっと泣き続けている私を可哀想に思ったのか、雨の道をぶっ飛ばしてくれた運転手さんは、病院の非常口までついてきてくれて、しかも端数をおまけしてくれました。

ICUに着くと母は生きていました、しかし心臓が80分も停止していたせいで、脳死状態、意識はありませんでした。

母は5年前から原発性呼吸不全という原因不明の呼吸苦を患って在宅酸素をしていました。

その日は、週に1度のリハビリデイで、きついから行きたくないと言ってたそうですが、3月は私が帰る予定だったのでお休みするから頑張って行こうといって、ディサービスに行って具合が悪くなり、自宅に帰った時はもうタクシーから降りることが出来なかったそうです。

その日から2日間死にゆく母と、バイオをしたり、清拭を看護師さんと一緒にしたり、泣いたりしながら過ごしました。

田舎のICUは下が池になっていて、大きな窓から山や木やその池が見渡せるそんな気持ちのよい場所でした。

そこで、死にゆく母にバイオをやっていると、今までの母には起こりえなかったような金色の輝きを感じて、また涙が出てきました。

バイオダイナミクスというこの施術を通じて、母と交流できる手段があってよかったと芯から思いました。

そして次の日正午、母は永眠しました。

一緒に過ごした1日半は早かったような、長かったような。。。。心拍数が徐々に減っていくモニターの動きと、人工呼吸器の音を聞きながら、段々母の死を待っている気がして苦しくなったあの時間。

そして、病院に泊まり込んだというのに、父があまりに憔悴してるので一度休ませようとすべく家に帰ったらすぐ急変して、あっと言う間に逝ってしまいました。

最後を看取ったのは姉でした。家族の中で一番忙しく、母と過ごす時間が一番少なかった姉が一人で母を看取ったのは不思議な縁だなと思います。

死後の母の化粧をしながらその話をすると、納棺師の方に「死ぬ姿を見せたくない人には見せないもんらしいですよ。」といわれ、そうか。。。。私と父には耐えられない気がしたのかなあと思ったのでした。

祈り

 

 

 

 

 

GAPとバイオ

GAPとバイオ

本当に超久々のんびり週末です。

なので、遂に確定申告に着手します。。。。

1月後半から半ばまでずーっとワークショップで、家のことは全然手つかず、確定申告も全然手をつけれなかったので。

その間にも、大学生なのに受験しなおしたいとセンター試験を受けた息子は、ある日久々に家に帰ってきたらドレッドヘアになっていたり。。。

今、家はカオスです。。。

とまあ、それはさておき、4月からGAP(ゲシュタル トアウェアネス プラクティス)の連続コースをやる予定なので、その打ち合わせに行ってきました。

本拠地が中央区あたりなので、国立からは結構遠い。。。

でも打ち合わせ場所に向かう道すがら、多摩川とは違う滔々と水を湛える隅田川沿いを歩くのはかなり気持ちのよい時間でした。

やっぱり川、好きだなあ。一番好きなのはガンジス河だのだけど、、、。

川のそばに住んで、毎日川沿いを散歩できたらすごく幸せだろうなあと思ってしまった。

川の流れを見ていると自分の中の液体も澄んでくるような感覚になっていくのです。

連続コースの打ち合わせ、あっという間の時間で、その後は西荻でバイオの勉強会。

先輩方に学びをシェアしてもらったり、瞑想的実習をしたりして、一日たっぷり充実時間。

GAP、バイオ、GAP、バイオ、この2つが私の人生の半分は占めているなあ。。。

ゲシュタルトアウェアネスプラクティス
連日ワークでちょっとぐったり顔

 

実家

実家
うたたねの父
うたたねの父
ぐったりの母
ぐったりの母

実家に帰省してました。5月にご飯が食べれず死相が出ていた父は、奇蹟?の回復で、3ヶ月で43キロから50キロくらいになって元気そうでした。

母は、呼吸苦が進行していて、前にも増して「苦しい、苦しい」を連発していて、見ているこちらが切なくなりました。

セッションしていても苦しくなっちゃうので、「人生で楽しかったことを思い出して見て」というと、「そんな楽しかった事はない。辛かった事ならいくらでも思い出せるけど。。色んな事をやってきたけど全部表面的なことで、本当に心から楽しんでやっていた事はない」などと言い出すので、ぎょっとしてしまいました。

でも、確かにそうかもしれません。

台湾で生まれ、戦後引き揚げてきたのが9歳の時。なかなか日本の学校にも順応出来なかったようだし、結婚もお見合いで、父は酒飲みで、ある意味破天荒。

私も、何年もインドとかをぶらぶらしてたし。

母が心配性なのも自分が 何が楽しいかわからない、、、そういうところからきているのかもしれないなと思いました。

楽しかった事が見つからないと言いながら、私が2歳くらいの時、私を置いて姉と父と母方のおばあちゃんに預けて出掛けた時、私が腹を立てて、おばあちゃんを引っ掻くわ、喚くは、叩くわで、凄かったらしく、「この激しい子を置いて行くなんて二度としないように」とおばあちゃんに言われたとか、私の100回以上聞いた暴れる逸話を話していたら、苦しさも少し遠退いたようだった。

以前よりもできる事や、気力がなくなって確実に介護量が増えていた。
それに対して、イノシシに畑を荒らされた父は、悔しがるでもなく何やら楽しそう。

足腰が弱ってきて、歩きがスムーズにいかないのだけど、それでも家事をこなし、買い物に行き、広い敷地の草取りも欠かさない。

昨日、ゴーヤーの茂みにスズメバチの巣を見つけて、危ないから取ってしまったのだけど、そのあとハチが巣を探してウロウロしているのをずっと観察していた。

その上、その取った巣をゴーヤーのツルの明るいとこに洗濯バサミで留めて、来るかどうか実験していた。

ちょっと前にも草取りをしていて巣を触ったらしく、黄色スズメバチに刺されたというのに懲りない人だ。

過去、カラスの子供を取ろうとして木によじ登って落ちて骨折したことも。。。

父の父(私のおじいちゃん)の自給自足話を聞くのが私は大好きなんだけど、投網を何個も持っていて、しょっちゅう川で当時はたくさんいたらしい鮎とか鮒とかを採って近所に配っていた話や、ヤギを飼っていて、近所の朝鮮の人が「病気の母親に食べさせたい」と言って、ヤギを買いに来た話。雄ヤギを自転車の荷台にくくりつけてヤギがベーべー大声で鳴いていたとか、締めた鶏を毛をむしって、皮膚の表面に残っている毛を炙ってさばくのは、父と双子の兄がやっていた事。

卵の元?がたくさんお腹の中にあってその黄色の球をじいちゃんが食べてたこと。

兄弟がたくさんいたから生活は大変だったらしいけど、父の学生時代も面白い逸話が沢山ある。

それを聞くと、滅茶苦茶だけど面白いなあ〜と思うのだ。

父、底力があるなぁと思うんだけど、それはその自分で採った食べ物で生きていく力のなせる技ではないかと常々思っている。
そんなこんなの今回帰省は終わりました。

掃除して、施術して、ご飯作って、ビール飲んで、ぐーぐー 寝て、実家はやはり落ち着く場所です。

今回は幼馴染の友人達にも会えたし。。。
いつも思うんだけど、あと何回会えるのだろう、あと何回一緒に食卓を囲むことができるのだろう、と思うと一瞬一瞬が貴重な充実の時間でした。

遠いけど、また年内に帰ろう。

息子の卒業

息子の卒業

先日は息子のタシの卒業式でした。ものすご~~く寒かっ他木曜日。

「花々のつぼみも膨らみ、春の気配を感じる季節になりました」とみんなが挨拶していて、おいおい、原稿そのまま読むんじゃないよ!と突っ込みたくなったくらいです。

数日前に初めてのパーマをかけた息子。

あまりにくるくる過ぎて(本当は天パでずっとヘアアイロンでセットしていた・・)パンチパーマみたいだから直してくると次の日に戻しにいったのだけど戻り切れず、、、、

前日登校の日に生徒指導の先生に見破られ「お前パーマかけただろ、明日はきっちり7,3に分けてこい」といわれてしまいました。

私はどーでもいいだろ、最後だしと思ったんだけど、そこは、気の小さい息子(だったら卒業してからパーマかければいいのに)、朝からスプレー買いに行ったりバタバタで写真もろくにとれず。。。
卒業式は寒すぎて、外でも撮れず。。。

そんなこんなでしたが、無事に高校まで卒業できました。

息子や私に、少しでも関わりのある全ての人に感謝の気持ちで一杯です。

子供は、親のちからでもなく、周りの人や社会の中で育っていくのだなあと、子供を育ててみて実感しています。
この国立の温かな環境で子育てできたこと、感謝しています。

今日も、小学校から高校まで同じ学校だったお母さんに「タシは、なんかいつもやらかしてるよね、見るたびに。。
運動会の騎馬戦の時も、終ったら先生に首根っこ掴まれて連れていかれてたし(暴言を吐いて、説教されてた・・・)タシはなんだか、、かわいいとこあるから、先生もかまいたくなるんだよ」って言われてじーんと来ちゃった。

道で会っても、お母さんたちが「あ、タシ大きくなったね」って声をかけてくれて、そんな中で育っていけたこと本当にありがたく思ってます。

息子に直接会ったことない人も、なんとなく身近な存在で気にかけてくれる、そのこともすごく嬉しいです。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

この春無事に大学生になります。

志望校には落ちてしまって、本人的には不本意ですが、これは始まりに過ぎないし。

ここから好きなことを見つけて突き詰めていってほしいなあ。

(なんだか、営業にいくサラリーマンみたいな写真になっちゃった・・)

夏休み

夏休み

昨日で夏休みも終わり。

今日からセッションを再開しています。

息子と二人実家に帰った夏。

2人で出かけるのも久しぶりだし、高3で部活も引退して毎日塾通いで、普段がっつり喋る機会もないので、なかなか楽しい道中でした。

2人だとトイレとか行くのも、順番に荷物持ってもらったりして楽だなとか。いつもは一人で移動することが多いので、そういうのも楽しかったし、しっかりしてきた息子を頼もしく思ったり、発見も多かったです。

高校に入ってから部活三昧で、実家に帰る機会のなかった息子にじじ、ばばを会わせることができて、ミッション完了!

私は実家で息子を産んだので、赤ちゃんの時はほんとお世話になったし、夏休みごとに私はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の合宿で、息子を一人で飛行機に乗せて預かってもらってた。

「小1で、飛行機乗ったとき、もうすごい辛かった。。。。」と今回の旅でも飛行機の中でチクチク言われましたが。実際、一人でさめざめと泣いてて、隣の人や、スチュワーデスさんに慰めてもらってたそうで。。トホホ。

申し訳なかったな~~~。とは思うけど、もう一度息子が7歳に戻ってもきっと同じことをしちゃうでしょう。。

実家では、母にセッションをし、家の掃除をしまくり、早寝をするといういつものルーティーン。

母の介護を父が担ってるので、掃除まで行き届かないのです。

後何度、こうやって家族みんなで会うことが出来るのかな。。。と思うとちょっと切ない。

バックパッカーで旅をしてた頃、長期滞在した場所で旅人が次の目的地に向かって去っていった時、そして自分がその土地を離れるときも、もう2度と会えないかもしれない切なさに、胸が締め付けられたし、楽しかった時間と人を失ったそのぽっかりと空いた穴が、時間が経つことで薄まっていくのさえ悲しかったのだけど、そう思うと、人生は全て一期一会だなと思います。

旅にいても、町にいても同じ時間は二度とない。

今ここ。

一瞬一瞬が貴重な時だなあ。。。ダラダラのんびりしているときも含めて!

ちなみに、初めてペットホテルに預けたインコのすーちゃん無事でした。でも乗られたときの体重、軽くなった気がする。

きっと7歳の頃の息子のように、不安で寂しい思いをしたんだろうな。ごめん。。。

最後の試合

最後の試合

 

GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)では、entering(なる・はいる)というプロセスがあります。

自分以外のものとして生きてみる、感じてみる、その席に座るということをGAPの探求では使います。

今日はいろんな席に座った一日でした。

息子が今日、部活を引退しました。

バスケットのインターハイの予選、多分今日は負けるだろう、負けたら引退だよね。と言っていて、でも今日はGAPのクラスがあるので、どう考えても観に行けなかったのですが、なんと今日のGAPのクラスが私が念じたわけでもないのに7月に延期になって、試合を観に行くことができました。

 

クラスがなくなったので午前中は、GAPのティーチングスタッフと会うため築地へ。

クラスをやるために借りていた場所を使って、ティーチングスタッフの4人で一人一人が探求をしました。

GAPのクラスをやるという立場になると、自分たちが自身の探求をする時間がなかなかとれずにいるので、相当貴重で有意義な時間でした。

GAPにそしてクリスに出会って、一緒に探求してきた日々が私に与えてくれたものは数知れず。

クリスが作る大きなフィールドの中で、私は生きる喜びや、生き物としての感覚や、自分や自分以外の生きとし生けるものに対する愛を知ったし、そのが私の人生を生きやすくしたのが分かるから、このワークを長年続けてこれたんだと思う。

自分の探求でその席に座ると、その感覚が簡単に蘇り、あっと言う間に体中を巡りました。

その生き生きした感覚。

広い広い空間。どんなに自分がのびのびしても大丈夫なくらいの。

 

私は自分が教えるのが向いているとか全然思わないし、人に伝えるということは、自分の苦手な「言葉」を積み重ねて、一歩一歩理解していく、ちまちました、全く持ってしちめんどくさい作業だな。。。。と思います。

私がもう一つ座った席は、この地道な席。からだも、その地味さに身が閉まる。。。

人に伝えるというとき、「言葉」だけでは足りないのだけど。

そして本当は言葉よりももっと大事なエッセンス、もっとシンプルな「生き生きした感覚」に出会うために、遠回りしなくちゃいけないというのは、私にとっては根気がいるしジレンマだし、苦手なことです。

でも全くやり方を知らない人に「飛んでみろ!」っていうような乱暴なことはしたくないので、今はきっと苦手なその地味でちまちましたことを、学んでいくときなのでしょう。。。

ここ数年、それをやっている気がします。。。。GAPでもバイオでも。

解剖学も、学ぶことで見えてくる景色にぐっと色と細密感が増したしね。

 

ところで、息子の試合!

午前中で、クラスミーティングを抜けさせてもらってダッシュで開催校へ!IMG_2575

相手が強豪だったこともあり、残念ながら負けてしまいました。

試合の観戦めっちゃ面白かったし、応援も選手もみんな輝いていた。

終わった瞬間に、息子も含め三年生がみんな泣いていて、ぐっと来てしまった。3年間朝練も夜練もやすまず、土日も長期の休みもほとんどの時間をコツコツと真面目に通ったバスケ部。

とびぬけて身体能力が高いわけでもないけれど、みんなとプレーするのが好きなのがよくわかった。

3年生はしばらく放心して座り込んでいたけれど、そのうち元気を取り戻してじゃれあってふざけ合っていた。

そんな姿を見て、また涙。。。

もっと沢山観に行ってあげて熱心なお母さんやってあげればよかったと思わなくはないけど、天から与えられたギフトのように、最後の試合を観れてよかった。

暑かった学校の体育館に長時間居たせいか頭痛を感じながら、この感覚って息子がソフトボールをやってたころ試合を観に行って長時間外にいたときの感覚だ!とそれさえも懐かしかったのでした。