この刺激的な一日

この刺激的な一日

タイのプミポン国王が亡くなりましたね。タイに行くとお札のバーツは国王だし、色んな所で国王がみんなに愛されてるのを目にしてきたから感慨深いです。謹んでご冥福をお祈りします。

同じ日にボブ・ディランがノーベル賞受賞しちゃうし。作詞もありなのか!と驚き。高校時代から愛してきた村上春樹がノーベル賞を取ってしまうのは、好きな人がメジャーな世界に飛び立ってしまう淋しさのようなものがあるし、ノーベル賞作家よりも、近所のパン屋でフツーに会いそうなフインキでいてほしい気もするので(もう充分有名だし、きっとノーベル賞とっても変わらないだろうけど)なんとなくほっとしたような・・・・・。

昨日は、朝から予定外に電車に乗って三鷹のスタバで今まであまりお会いする機会のない職種の方と打ち合わせ。チャイラテが異様に甘くてびっくり。やはりスタバって味も思想も好きになれん!と思いつつ、とんぼ返りで国立に戻り個人セッションを終え、夕方から息子の学校へ。

息子のバスケットの部活の保護者会、初参加!

高校にもなると学校に行くことなどほとんどないため、人気のない暗くなった構内でさまよってしまった。。。

部活内で生徒が生徒を殴った事件があって、その対応をめぐって今まで口を出すのを控えてたお母さんたちが立ち上がって、顧問の先生を交えて話す機会を作ってくれたのです。

もう、親の出る幕でもないよな・・と思い、今まで行かなかったけれど、この前息子と喧嘩したときに「保護者会とか来てほしい」というリクエストもあったことだしと思い、行ってみました。

初めて息子の同級生のお母さんたちとお会いすることになったのですが、お母さんたちの熱意にびっくり!

子供に対する愛や、先生に対しても恐れずグイグイ迫力で迫る姿も!練習試合とかも毎回観に行って子供たちの様子を伝えてくれるお母さんもいて、本当に頭が下がりました。

福島の原発事故があったときも、お母さんたちは立ちあがったもんな~~。母は強いし、やるときはやる!

それにしても、その保護者会に参加して、率直さ、思っていることを正直に言うって素晴らしいなあと思いました。

すごい激しいお母さんの何人かが「そこまで言うか!そんな風に攻撃してもいいのかな~~、先生大丈夫??」ってくらいハッキリとしゃべっていて緊迫感Maxでハラハラしたりもしたけれど、全員がなあなあで済まそうとか、表面を取り繕うとかそういうのではなく、子供たちが自分たちの大好きなバスケを思う存分できるように、そしてお互いがお互いを尊重してプレーするためには何が必要で、今何が足りないのかということを先生たちに必死で伝えていた。

そして、みんなが子供の様子をよく見てるし、コミュニケーションが取れているなあっていうのに感激した。

話しながら感極まって泣いているお母さんもいたし。

自分の思いを伝えて、それが相手にも理解してもらえる。それがコミュニケーションだと思うのだけど、顧問の先生はそれが出来てなくて、その伝わってなさがどうもわかってないっぽい。

責められて、守ることで必死なのかもしれないけれど、後からじわじわ効いてくると思いたいですー。

初めてお会いするお母さんたちばかりとサークルを囲んで終わるころには、その人となりや、息子や家族の背景も見えるようになって、すごく知り合った気分でした。

母の日じゃないけれど、世の中のお母さんたちに感謝してしまった夜だったのでした。

17年前の息子と私。。
17年前の息子と私。。

 

コミュニケーション?

コミュニケーション?

先日息子の自転車が盗まれました。ドンキホーテの駐輪場に停めてあったらしいのですが、自転車の鍵が壊れてたから、簡単に持っていかれたらしいのです。

盗まれた夜帰ったらすぐに息子は「カギは壊れているし、スタンドも不具合だから、自転車買って!」と言い出したのです。

学校は自転車通学だから不自由なのはわかるけど、自転車鍵が壊れたままにしといた自分が悪いんでしょ?と思い、すぐ買ってというそのイージーさも嫌だったので「まずは盗難届け出してからでしょ?」と言いました。

次の朝、言い争うのが嫌でお互いに口を聞かずに息子は歩いて(25分!)+モノレールで学校に行き、夜帰ってきたのが22時過ぎ。

息子は疲れてて不満そうな感じはあったのだけど、自転車の話するの嫌だなあと思いつついたら、、どちらが口火を切ったかは覚えてないけど、このまま話し合わずにいることは出来なかったのだろう、お互いに。。。いつの間にかバトルに発展していた。

日頃の不満をお互いに言いあう機会を探していたのか、自転車問題から他の事も出てくる出てくる。

息子が弁当のご飯を残していたので、「残すならご飯減らすから言って!」というと、「おかずが少ないんだよ!ご飯は減らしておかずを多くして!」とか。

私の主張は・・・・全然手伝いをしないのに、自転車買ってとか、お金くれとか要求ばかりする。家のこともやってほしい。もう少し片づけてほしいし、自分の茶碗やお弁当箱を洗ってほしい。

息子の主張・・・親だから当たり前。仕事があるのはわかるけど親としての事もやってほしい。学校や部活の保護者会も来ないし。俺は部活で疲れている。

私も疲れてるんだよ~~年だし!

すごい強い口調ですごんでくるので夜だし、窓を閉め、眠いし嫌気がさして離れるとどこまでもぶつかって欲しいのか、追いかけてきて話してくる。

時にはそういうぶつかり合いを必要としているのだろう。

しかし、お互いにワーワー言い合ったのがガス抜きになったのか、朝起きた息子は次の日はすごく優しくなっていた!

お互いの主張を認めたわけでもないし、発散し合っただけと思っていたのだけど、熊が森で取っ組み合いをするようにワーワー罵り合いながらも、お互いの話は聞いた気がするから不思議なものだな。

多分職場でこれをやったらうまくいかない気がするのだけど、親子だからだろうか???

ゲシュタルトだとコミュニケーションと自己表現を分けるというのだけれど。。。

なんだか感情爆発したコミュニケーションだったけど、お互いの主張はどうやら伝わったらしいです。

私はお弁当のおかずを一品増やし、来週は保護者会にも行くことにした(もう高校だからいいだろ~~と思っていたけど)

息子は相変わらず全然片づけないけど、すぐに新しいのを買ってもらうのをあきらめ中古の自転車を友達のお母さんからもらってそれに乗っている。

少しづつだけど、お互い譲り合ったということかしら。

 

中華街で思い出したこと

中華街で思い出したこと

昨日は、バイオダイナミクスの勉強会で横浜に行きました。横浜の中華街にほとんど言ったことがないので、勉強会の後、中華街に連れて行ってもらってご飯を食べました。

アジア的匂いや、音や、お店や看板の色を見たり,聴いたり,嗅いだりしていたら、中国の旅を色々思い出してしまいました。

私がアジアへの長い旅に出かけたのは1991年。初めてインドに行ったのが22歳の学生の時で、その時の1か月半の旅でノックアウトされて人生観を覆されてしまいました。

後にも先にも、初めてのインドの旅のような衝撃は今後の人生でないだろうなあと思います。

その時会った長期旅行者たちがもれなく中国大陸を横断していたので、私も!と思って次の年までにお金をこつこつ貯めて、旅に出ました。

そのころの中国にはまだ人民元と兌換元(外国人専用紙幣)があったし、外国人料金で旅社(ホテル)も電車も3倍増しの料金でした。

今みたいに中国はリッチじゃなかったし、人々は素朴で共産的で良くも悪くも真ん中がない感じ(すごくいい人か、すごく愛想が悪い)だったから、一人の旅は衝撃→人に助けられる→衝撃→なんとか切り抜ける→人に助けられるの繰り返しでした。

最初の2か月で上海まで船で行き、そこから大陸を横断してシルクロードウイグル自治区を経由して、カラコルムハイウェイを通ってパキスタンまで行きました。

沢山の旅人や人民にあったし、この世の雑多な人間模様に初めて触れて、面白くて不可思議で、自分の生きる力を試しているような無茶も沢山した旅でした。

当時ウイグルで会った旅の大先輩で「やさしさ」を沢山くれた人は、その後山で滑落して死んでしまった。

長いこと彼のために泣けなかったのだけど、ある時女神山のGAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のワークショップの時に、彼の記憶を鮮明に思い出してワーワー泣いた。

泣いたり、思い出したりするのは鎮魂だ。とその時思いました。

若い私は、人生はどこまでも続くと思っていたし、後戻りできると思っていたのだ。今は、もう若くなく人生の限りを知っているので、何が大事かわかるようになったし、大事なことを後回しにしないようにしようと思っている。

その時の2年半の旅に私はバイトして貯めたお金を70万持って行って、帰って来た時は2万円しか手元になかった。

インドで妊娠が発覚し、30歳で妊娠して8か月で日本に帰って来た時は、あと2か月で産み月なのに一回も受診もしてなかった。

それでも、人生は回っていくし、仕事にも人にも恵まれ今に至る。

アジアを旅したことは、間違いなく私の人生の一番キラキラして、ワイルドで、怖いもの知らずの時間だったと思う。

実家!

実家!

野菜只今北九州空港で、飛行機を待っています。

京都でのエソテリックヒーリングアドバンスクラスを終えて、土曜日から実家の福岡に帰省していました。

母が24時間在宅酸素で要介護なので、主な目的は母にセッションする事。

老々介護で父が主に家のことをやっているので、後の時間は掃除したりしてました。

5日間母にワークしていて、ガチガチだった体も(特に胸郭)緩んで、息を吸うのにぎゅうっと肩を引き上げていたのも軽減し、体位を変えるときも、「く、苦しい、痛い。。。」と言っていたのにすっと動けるようになってきました。

やはり毎日やるのは良いですねー。

今回父が介護でかなりのストレスを感じているようなのと、丈夫だった足腰が弱ってきているのが気になりました。

父は、触られるのが嫌い、かといってエネルギーワークが好きなわけではなく、怪しいと思うタチなので、きっちりワーク出来ず。。。やはり遠隔かなあとお風呂で遠隔してましたが、今後の対策を練らねばです!

毎日暑かったのだけど、実家の自然の中にいると、本当気持ちよかったです。

毎日夜はやることもないので、9時には寝てました。久々に10時間近く寝ました。

木々と水と空気の力ってすごい!人が少ないのも癒されましたー。

毎朝1時間くらい歩くのですが、会うのは大抵2・3人。。。

人口密度、少なすぎです。

毎日、父の畑の暑さでホカホカの野菜達をもぐのも幸せでした。

仕事と、東京と、両親の介護と、ライフバランスを見つめ直す時期が来ているなと、またもや思った夏休みでした。

写真は畑の野菜と両親、そして庭の私の大好きなイチョウの木。

 

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事件に思う。

事件に思う。

合宿に言っていた息子が帰ってきて、最初にしゃべったのが相模原の施設での殺傷事件。

子供にとっても、強烈な事件だったのでしょう。犯人の異様さにショックを受けたみたいでした。

無抵抗に殺されていった命を思うとやりきれない思いです。

きっと、痛くて、怖かった事と思います。

怪我を負った人や、当事者ではないにしてもこのニュースを知った障害を持つ人達も、さぞかししんどい思いをしている事と思います。

どういう経緯で犯人が、重い障害を持つ彼らを殺すに至ったかは定かではないけれど、人や社会を破壊するほどの狂気がどう作り出されていったのか、その闇を思うとそれにも胸が痛みます。

この事件を受けて、セキュリティをもっと強化せよ、とかになってしまうのかもしれないけれど、介護者、支援者、家族が、社会との接点を失ったり、萎縮してしまわないかというのが心配です。

もう十分、気を使っているのになあと。

電車の中で子供を連れているお母さんの気の使いっぷりや、障がい者の施設が出来るというと、反対したり、実際、まあ畑に入ったり、お店の商品を勝手に食べちゃったりするのだけど、そこは地域ぐるみで支え合う姿勢が大事なのだよなあ。と思います。

障害を持っていても、社会の一員として、地域や家族とつながりを持ちながら、お互いに支え合って生きていくのが理想だと思うのですが、この国はそこまでの成熟はしていないのだなあと思います。

社会の成熟を思うとき、欠かせないのは経済の発展よりも、優しさと寛容さをどう実現していくかだと思います。

そのためにも、福祉の充実と、教育は大きなキーワードだなあと。

教育といっても、愛国心とか、アベノミクスとか言ってる場合じゃないでしょ!と思いますが。

GAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のワークで会った人が少年院で「気づき」を取り入れているというのを聞いて、そして少女たちがそれによって少しづつ変化していくというのを聞いて、感動しました。

自分自身の感覚に気づいたり、何を思って何を感じているのかを、ゆっくり時間をかけて気づいたり、それを人に聞いてもらう機会をみんなどれだけ持っているのだろう?

そして、自分自身のありのままをそのまま受け止めてもらいえるという体験をするということが、どれだけ成長にとって必要なことか!と思います。

その体験があれば、「障がい者は生きてたってしょうがない」みたいな考えにはならなかったのかもしれないと思ったりもしますが。

自分自身のあらゆる部分を受け止められる寛容さと、外側に対する寛容さはきっと繋がっているに違いないと思うのです。

今日は、都知事選。選挙に行ってから、リンパテクニックのクラスに行きます!

 

息子

息子

先日高2の息子が人生初ボウズ頭になりました。

高校生になってから、髪の毛をセットすることに情熱を燃やしていて、ムースやディップやスプレーが家の中に溢れているというのに!

体育祭の騎馬戦で同じ馬の子に「やっちゃっていいよ(殴っていいよの意味)」といい、本当に上の子が対戦相手を殴って、即連れていかれ、反省文。

そのあと授業中に携帯をいじっているとこを見つかり、また反省文。

全然大したことないでしょ~~と思うのだけど、そこそこ強いバスケ部に入っているので、顧問の先生にかなり言われたらしい。「失望したとか、お前はバスケ部にとってマイナスだ」とか。

「俺バスケ部やめようかな・・・」と中学から言ったことのないセリフを初めて言ったので、相当びっくりしました。息子は意外と一度始めたらやめないのです。浮気しないタイプ!

部活やっていると部活一色になり、朝も早いし帰りも遅い。土日は部活で休みもない。

しかも強いわけでもないし、レギュラーになれるわけでもない。それでも息子は休むことなく練習していたのです。

「やりたいこともできないし、遊んだりもしたいし・・・」とつぶやいていたので、本気で心配になりました。

「ここまで頑張ってきたのだから、もうすこし踏ん張ったら」とは言いましたが、ザワザワしつつもあまり口出しは出来ずにいたら、次の日「俺坊主にするから」といって、夜坊主頭になって帰ってきました。

先輩に切ってもらったらしいです。

自分なりに心のけりをつけ、続けようと思ったらしい。それをみてまた一つ「もう子育ては終わるんだなあ~~」と感無量でした。

自分で自分の面倒を見られる、そんな息子にすることは、肉を焼くことととお金のみ。。。。

最近も「腹が減るんだよ!軽食あれじゃ足りない!!」といわれたばっかり。二段のお弁当の他に、3時間目に食べる軽食も持たせているというのに~~。