中華街で思い出したこと

昨日は、バイオダイナミクスの勉強会で横浜に行きました。横浜の中華街にほとんど言ったことがないので、勉強会の後、中華街に連れて行ってもらってご飯を食べました。

アジア的匂いや、音や、お店や看板の色を見たり,聴いたり,嗅いだりしていたら、中国の旅を色々思い出してしまいました。

私がアジアへの長い旅に出かけたのは1991年。初めてインドに行ったのが22歳の学生の時で、その時の1か月半の旅でノックアウトされて人生観を覆されてしまいました。

後にも先にも、初めてのインドの旅のような衝撃は今後の人生でないだろうなあと思います。

その時会った長期旅行者たちがもれなく中国大陸を横断していたので、私も!と思って次の年までにお金をこつこつ貯めて、旅に出ました。

そのころの中国にはまだ人民元と兌換元(外国人専用紙幣)があったし、外国人料金で旅社(ホテル)も電車も3倍増しの料金でした。

今みたいに中国はリッチじゃなかったし、人々は素朴で共産的で良くも悪くも真ん中がない感じ(すごくいい人か、すごく愛想が悪い)だったから、一人の旅は衝撃→人に助けられる→衝撃→なんとか切り抜ける→人に助けられるの繰り返しでした。

最初の2か月で上海まで船で行き、そこから大陸を横断してシルクロードウイグル自治区を経由して、カラコルムハイウェイを通ってパキスタンまで行きました。

沢山の旅人や人民にあったし、この世の雑多な人間模様に初めて触れて、面白くて不可思議で、自分の生きる力を試しているような無茶も沢山した旅でした。

当時ウイグルで会った旅の大先輩で「やさしさ」を沢山くれた人は、その後山で滑落して死んでしまった。

長いこと彼のために泣けなかったのだけど、ある時女神山のGAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のワークショップの時に、彼の記憶を鮮明に思い出してワーワー泣いた。

泣いたり、思い出したりするのは鎮魂だ。とその時思いました。

若い私は、人生はどこまでも続くと思っていたし、後戻りできると思っていたのだ。今は、もう若くなく人生の限りを知っているので、何が大事かわかるようになったし、大事なことを後回しにしないようにしようと思っている。

その時の2年半の旅に私はバイトして貯めたお金を70万持って行って、帰って来た時は2万円しか手元になかった。

インドで妊娠が発覚し、30歳で妊娠して8か月で日本に帰って来た時は、あと2か月で産み月なのに一回も受診もしてなかった。

それでも、人生は回っていくし、仕事にも人にも恵まれ今に至る。

アジアを旅したことは、間違いなく私の人生の一番キラキラして、ワイルドで、怖いもの知らずの時間だったと思う。