ガンジスに還る

ガンジスに還る

先週、インド友達と「ガンジスに還る」という映画を観に行きました。インドのガンジス河の流れる聖地バラナシが舞台の映画。

夢を見た、自分はもうすぐ死ぬというおじいちゃんが、バラナシのガンガーのほとりにあるムクティバワン(解脱の家)という死を待つ家に行く。

それについていくサラリーマンの息子と、その家族を描いた映画。

この映画があまりにラナシ過ぎた。。。

懐かしさにあっと言う間にタイムスリップして、画面の中に完全に入っていってしまった。

バラナシは1年以上を過ごした場所で、インドで一番好きな場所。

焼き場のある、ハリスチャンドラガートのすぐ近くに長くいたのです。

最近、インドで学んでいたバンスリ(インドの横笛)をちょっとずつまた吹き始めたのもあり、本当にタイムリーな時に見た映画でした。

バラナシは、観光化を推し進める政府の方針で、もう何千年も前からある街並みを壊して再開発しようという動きが始まっていて心を痛めていたところでもあった。

最後にバラナシに滞在していたのは20年前。なんとその時は妊娠中だったのですが。。。

冬のバラナシで、毎日カレーを自炊しつつ、毎日バンスリを吹いて、朝と夕方、ガートに散歩にいって、朝日と夕焼けを見ながらチャイを飲んでいた懐かしい日々。

12月に「壊れる前のビシュワナート(ゴールデンテンプル)の周りの小道に別れを告げに行きませんか?」というお誘いは、流石に急すぎて断ったけれども、来年あたりにはインドに行きたいな。。。と密かにインド熱が高まっている最近なのです。。。

 

満月瞑想

満月瞑想

木曜は満月でした。最近よく会っている瞑想仲間と、今度は外でやりたいね!ということで、満月アウトドア瞑想会をやりました。

昭和記念公園は5時までだから外の芝生でやろう!ということだったのですが、下調べしてなくて行ったら外の芝生もなんと5時まででした。。。とほほ~~涙。

急遽ドナドナ状態で移動した場所が、まさに導かれたように素敵な人もほとんどいない場所で、茣蓙やヨガマットを敷いておやつを食べてから、瞑想しました。

瞑想中に、木の間に隠れていたお月さまが上がってきて、目を閉じていても明るいくらいのひかり!

外にいるとなんだかいろんなことがどうでもよく、大したことないように思えてきて、ただただ今この瞬間に満ちていくのでした。

私たちの日々は本当にどこまでも忙しく電気の光でまぶしすぎる。

夜の暗さが、そして静けさが生き物としての存在を思い出させてくれる。

オステオパシーを作ったDrスティルが、1900年初頭に「もっと森を歩きなさい、みんな忙しすぎる」と言ったように(パソコンもTVもない時代に!!)私たちはあまりに先を急いで頭が忙しすぎるなあと。

そのあとは、自分たちのお互いの体調に合わせて交換セッションをしあいっこしました。

今度は、外で鍋&瞑想とかやりたいなあ。。。

暗闇セッション
暗闇セッション

その人らしさ

その人らしさ

占星術ワークショップ「基本の12星座のお話」終了しました。

もうすでに受講したことあるクラスなんだけど、すごく面白かったです!

占星術がいつの間にか好きになっていた理由はなんなんだろう?と思うのだけど(なぜなら占いの類はそんなに好きでもない・・)それは、チャートにその人らしさがにじみ出ているからだと思います。

良いとか悪いとかではなく、その人が生きる、今生のありのままの人生が隠しようもなく表れているから。

じゃあ私が占星術を読む人になるかっていうと、それは自分の仕事ではないようでいまだに星のサインが読めないし(水星☿とか金星♀とか、、、全然覚えられない)その野心もないのだけれど、その場にいて参加者の人のチャートからにじみ出てくるその方々の人生を垣間見せてもらえるのがなんとも面白く、興味深いのです。

なんか、その人を生きるというのは、私の人生のテーマでもあるし、きっとGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)をずっと続けているのもその辺なんだろうな~~。、

自分が7室(パートナーシップや、コミュニケーション)に沢山の星座が入っていてチャレンジや強調点が置かれているからかなと思ったり。

あと、今回話を聞いていて「この星座は負けず嫌い」という言葉が耳に残りました(私に言ったわけじゃあないのだけど)

日頃あんまり気にしたことなかったけど、確かに私は負けず嫌いかも。

太陽星座はおうし座だけど、おひつじ座ともかなり関係が深いし。

思えば、人に何か言われるのすごく嫌だった!子供の頃から、親の言うことも先生のいうことも全然聞かなかったし、人にアドバイスとか、そうすればいいよ、とかあんまり言われたくない。

なんでも自分で自分のことは決めたがるなあ。。。

もしかしたら、負けず嫌いとはニュアンスが違うかもだけど、社会の中でさざ波を立てないように振舞っている自分と、そうじゃない「火」の部分で一匹オオカミ的な部分がチャートの中にも表れている気がして、まじまじと自分の宇宙の図を見てしまった。

占星術、面白い!

10月の「ドラゴンヘッドとテイルの話」は満員になってしまったけど、またワークショップをナンディでも開催する予定です!

わかりやすく、かつ鋭く星を読んでくれる内山可憐さんのブログはこちら。個人セッションやワークショップもやってます。

実家

実家
うたたねの父
うたたねの父
ぐったりの母
ぐったりの母

実家に帰省してました。5月にご飯が食べれず死相が出ていた父は、奇蹟?の回復で、3ヶ月で43キロから50キロくらいになって元気そうでした。

母は、呼吸苦が進行していて、前にも増して「苦しい、苦しい」を連発していて、見ているこちらが切なくなりました。

セッションしていても苦しくなっちゃうので、「人生で楽しかったことを思い出して見て」というと、「そんな楽しかった事はない。辛かった事ならいくらでも思い出せるけど。。色んな事をやってきたけど全部表面的なことで、本当に心から楽しんでやっていた事はない」などと言い出すので、ぎょっとしてしまいました。

でも、確かにそうかもしれません。

台湾で生まれ、戦後引き揚げてきたのが9歳の時。なかなか日本の学校にも順応出来なかったようだし、結婚もお見合いで、父は酒飲みで、ある意味破天荒。

私も、何年もインドとかをぶらぶらしてたし。

母が心配性なのも自分が 何が楽しいかわからない、、、そういうところからきているのかもしれないなと思いました。

楽しかった事が見つからないと言いながら、私が2歳くらいの時、私を置いて姉と父と母方のおばあちゃんに預けて出掛けた時、私が腹を立てて、おばあちゃんを引っ掻くわ、喚くは、叩くわで、凄かったらしく、「この激しい子を置いて行くなんて二度としないように」とおばあちゃんに言われたとか、私の100回以上聞いた暴れる逸話を話していたら、苦しさも少し遠退いたようだった。

以前よりもできる事や、気力がなくなって確実に介護量が増えていた。
それに対して、イノシシに畑を荒らされた父は、悔しがるでもなく何やら楽しそう。

足腰が弱ってきて、歩きがスムーズにいかないのだけど、それでも家事をこなし、買い物に行き、広い敷地の草取りも欠かさない。

昨日、ゴーヤーの茂みにスズメバチの巣を見つけて、危ないから取ってしまったのだけど、そのあとハチが巣を探してウロウロしているのをずっと観察していた。

その上、その取った巣をゴーヤーのツルの明るいとこに洗濯バサミで留めて、来るかどうか実験していた。

ちょっと前にも草取りをしていて巣を触ったらしく、黄色スズメバチに刺されたというのに懲りない人だ。

過去、カラスの子供を取ろうとして木によじ登って落ちて骨折したことも。。。

父の父(私のおじいちゃん)の自給自足話を聞くのが私は大好きなんだけど、投網を何個も持っていて、しょっちゅう川で当時はたくさんいたらしい鮎とか鮒とかを採って近所に配っていた話や、ヤギを飼っていて、近所の朝鮮の人が「病気の母親に食べさせたい」と言って、ヤギを買いに来た話。雄ヤギを自転車の荷台にくくりつけてヤギがベーべー大声で鳴いていたとか、締めた鶏を毛をむしって、皮膚の表面に残っている毛を炙ってさばくのは、父と双子の兄がやっていた事。

卵の元?がたくさんお腹の中にあってその黄色の球をじいちゃんが食べてたこと。

兄弟がたくさんいたから生活は大変だったらしいけど、父の学生時代も面白い逸話が沢山ある。

それを聞くと、滅茶苦茶だけど面白いなあ〜と思うのだ。

父、底力があるなぁと思うんだけど、それはその自分で採った食べ物で生きていく力のなせる技ではないかと常々思っている。
そんなこんなの今回帰省は終わりました。

掃除して、施術して、ご飯作って、ビール飲んで、ぐーぐー 寝て、実家はやはり落ち着く場所です。

今回は幼馴染の友人達にも会えたし。。。
いつも思うんだけど、あと何回会えるのだろう、あと何回一緒に食卓を囲むことができるのだろう、と思うと一瞬一瞬が貴重な充実の時間でした。

遠いけど、また年内に帰ろう。

トンレン瞑想

トンレン瞑想

7年前の3月11日、事の重大さわからぬまま、私たちは今は無き国立の図書館&ギャラリーのプランターコテッジに集まっていました。

居場所があって、心が通い合う友人がいる事がひたすら有難かった。

その後、この場所で、「1日まるごと原発ディ」というチャリティイベントを企画しました。

その時、みんなでやったトンレン瞑想を紹介します。

私も今日やりました。

最初にこの瞑想を教わったのはGAPの先生のクリスからでした。

仏教の慈悲の瞑想。

この瞑想は呼吸を使います。

やり方はシンプルで、吸う息で、痛みや苦しみ悲しみなどを吸い込みます。

今も避難している人たち、家族を亡くした悲しみや痛み、汚染してしまった土地や、生き物の苦しみなどを吸う息と一緒に吸い込みます。

今度は吐く息で、自分が持っている温かさや優しさ、慈悲の心や、今までに受けた愛情、や美しいものイメージや風景などを、呼吸に乗せて、その痛みのある場所、人、生き物などに向けて差し出します。

吸う息で苦しみを吸い込み、吐く息で優しさを差し出す。

この循環を繰り返します。

自分のタイミングで、今度はあるがままの呼吸に戻ります。

そして、そのあるがままの呼吸としばし共にいます。

もしも興味のある方はやってみて下さいね。

息子の卒業

息子の卒業

先日は息子のタシの卒業式でした。ものすご~~く寒かっ他木曜日。

「花々のつぼみも膨らみ、春の気配を感じる季節になりました」とみんなが挨拶していて、おいおい、原稿そのまま読むんじゃないよ!と突っ込みたくなったくらいです。

数日前に初めてのパーマをかけた息子。

あまりにくるくる過ぎて(本当は天パでずっとヘアアイロンでセットしていた・・)パンチパーマみたいだから直してくると次の日に戻しにいったのだけど戻り切れず、、、、

前日登校の日に生徒指導の先生に見破られ「お前パーマかけただろ、明日はきっちり7,3に分けてこい」といわれてしまいました。

私はどーでもいいだろ、最後だしと思ったんだけど、そこは、気の小さい息子(だったら卒業してからパーマかければいいのに)、朝からスプレー買いに行ったりバタバタで写真もろくにとれず。。。
卒業式は寒すぎて、外でも撮れず。。。

そんなこんなでしたが、無事に高校まで卒業できました。

息子や私に、少しでも関わりのある全ての人に感謝の気持ちで一杯です。

子供は、親のちからでもなく、周りの人や社会の中で育っていくのだなあと、子供を育ててみて実感しています。
この国立の温かな環境で子育てできたこと、感謝しています。

今日も、小学校から高校まで同じ学校だったお母さんに「タシは、なんかいつもやらかしてるよね、見るたびに。。
運動会の騎馬戦の時も、終ったら先生に首根っこ掴まれて連れていかれてたし(暴言を吐いて、説教されてた・・・)タシはなんだか、、かわいいとこあるから、先生もかまいたくなるんだよ」って言われてじーんと来ちゃった。

道で会っても、お母さんたちが「あ、タシ大きくなったね」って声をかけてくれて、そんな中で育っていけたこと本当にありがたく思ってます。

息子に直接会ったことない人も、なんとなく身近な存在で気にかけてくれる、そのこともすごく嬉しいです。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

この春無事に大学生になります。

志望校には落ちてしまって、本人的には不本意ですが、これは始まりに過ぎないし。

ここから好きなことを見つけて突き詰めていってほしいなあ。

(なんだか、営業にいくサラリーマンみたいな写真になっちゃった・・)