師走に入って急に冬らしくなって来ましたね。
余りにも暖かい日が続いていたので、つい冬ってこんなもんかなあと思ってました。
一週間前の水曜に父が救急搬送され、急遽福岡の実家に帰ってました。
ちょうど施設でのボディーワークの日だったのですが、母が心肺停止で救急搬送されたのも、この施設でワークの日だったので、心臓が縮み上がるくらいドキドキしました。
誤嚥性肺炎だったのですが、入院はしない、帰る帰るとゴネまくる父。
そして点滴の針を抜きまくる!
結局一泊だけ入院して帰る事に。
免許を返納して近所の病院に変えた頃から病院を嫌がり、遂には行かなくなって一年が過ぎ、血糖値も腎臓も凄く悪くなっていて、投薬も必要だけど、認知症がここ数ヶ月で急激に進んでいて、日常生活もままならなくなってしまった。
先々月認定が出たばかりの要支援1では自宅での介護は出来ないので、認定やり直しの為のリスタートをする事に。
私の滞在中の3日間でどうにかなるように、新旧ケアマネさん達が超特急で動いてくれて、何とか認定調査まで漕ぎ着ける事になりました。
以前から、いつかは訪問診療で自宅で最後まで過ごせれば良いなぁと思っていたので、今後も病院には行かないだろうから、訪問診療で最後まで見てくれる所を紹介してもらう事に。
救急のドクターや、新しく訪問診療をしてくれるドクター、ソーシャルワーカーの人など、目まぐるしく面会をし、今までほとんど人が入る事がなかった実家に、訪問看護婦さん、ヘルパーさん、ケアマネさんなど入れ替わり立ち替わりに入り、たくさんの人に挨拶し、契約書にサインをしまくる。
とにかく施設も医者も嫌な父の願いと安全を確保すべく沢山の人が動いてくれて、本当に感謝感謝。
今まで介護に全く関わって来なかった姉も遂に帰って来てくれたのでバトンタッチして、一旦東京に戻りました。
父は何が何だか分からずだろうけど。
こんなスピードついて行けないよね。
次の日には、入院したことも忘れていたし。
毎日ヘルパーさんと訪問看護婦さんが来てくれると言っても、あとは1人。
心配は尽きないし、家で暮らすという事がどこまで出来るかわからないけれど体制はなんとか整ったかなと思います。
救急搬送された病院のドクターからは入院加療した方が良いと言われたけど、病状受けに行った時、コロナで病棟に入れないのでフロアの談話室でドクターを待っていると、父が病院のレンタルパジャマを来てヨタヨタ歩行で部屋からナースステーションに出て来るのが見えました。
そして遠くにいる私を発見して、こっちにいるよと一生懸命手招きしたのです。
私も遠くから、[これから先生と話があるけ、待っとってね!]と声をかける。
看護婦さんによって部屋に戻され、数分後にまた出てきて、洋美、ひろみと手招きする。
10分間の間に、同じやりとりを三回繰り返して、その姿をみると切なすぎてやっぱり病院も施設も無理だなあと思った。
そんなこんなで、結構大変な状況ですが、それと同時に今まで以上に[支えられている]事への感謝の気持ちをより強く感じています。
ケアマネさんも、私が来るまで父に付き添ってくれたり、お弁当を配達してくれるおばちゃんが心配して電話をくれたり、交流がなかった姉もヘルプに来てくれたり。
そもそも、生協の配達の人が、父が出て来ないのを心配して私にLINEしてくれたのが始まりだったし。
私たちが生きているのは、いろんな人がお互いに手を貸したり借りたりしながらだという事に、子育ての時も実感して来ましたが、今度は父の介護でそれをますます体験させてもらっています。
バイオダイナミクスの施術はまずスティルネス(静寂)から始めるのですが、一周回って、少しだけ自分で頑張る事を手放す事が出来たのかもしれません。大いなる存在にも寄り掛からせて貰いながら、やるべき事を粛々と行う。今はそんな気持ちです。
今回急遽実家に帰ることになり、数名のクライアントさんをお断りさせて頂く事になり、本当に申し訳なかったです。
GAPのクラスもあったのですが、空港からそのまま直接午後のクラスだけ参加すると言う形にさせて頂きました。
今後とも、人の生き死に際してこういう事がないとも限らないので、ご理解頂ければと思います。