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熊本の地震で被災された方、亡くなられたり怪我をしている方やその家族の方、避難している方、心理的肉体的にも様々な影響を受けているたくさんの人たち、そしてその土地にも祈りを送ります。

私の実家のほうもかなり揺れたらしい。九州って地震があまりないから、びっくりしたみたいです。でも、両親とも大丈夫でした。

私はといえば、4月の最初のほうに人生初のインフルエンザになってしまいました。

息子が部活で感染してきたらしく、息子は下がらない熱に「この体温計絶対壊れている。。。」とぶつぶつ言ってたのですが、それがまさかのインフルエンザでした。4月なのに!

そこで私もうつってしまったのですが、「腰が割れそう。。。とか熱が~~、とか寒い!寒すぎる」とかインフルエンザってなったことないから、こんな感じかあ~~などと感じつつ。

風邪とは全然違うものですね、薬飲まない主義なので、なんとか自力で治しましたが

 

そして先週末はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のST(スチューデントティーチャー)クラス2ディズでした。

その1日目のワークで会場近くの隅田川のほとりで、自然と対話するワークをやったのですが、それが素晴らしかったです。

風やお日様の光、波打つ川面の動きを感じ、草や土の匂いを嗅ぎ、それに言葉を使わずに動きや音で対話する。

鳥の声に応え、木々のざわめきに耳を澄まし、ただ自然と共にいる、そうしているとどんどん自分自身が自然からエネルギーチャージされていくのが分かりました。

そして癒しがおきる場所が分かった気がしました。

日々の暮らしの中で、することに追われ、「ただ居る」という時間をないがしろにしていたことにも気づきました。

GAPのワークでは気づいたものに、「いつもよりも時間と空間を与える」という言い方をします。

そして、する(doing)ことよりも→いる(being)、ただ共にいる。と言うことを学んでいきます。

今回も、自分がリードするということは、より学ぶことだなあと思った2日間でした。

私も、自分自身と、そして自分が感じているものと共にいる力を育み中です。

 

 

 

グループでの学び

グループでの学び

先日、クロニックスチューデンツ主催のエソテリックヒーリングでの画期的な試み!でスカイプによる読書会が開かれました。

難解で有名??なエソテリックヒーリングの本を紐解いていく会です。

エソテリックヒーリングは、DK(ジュアル・クール)がアリスベイリーを通して伝えた秘教の知なのです。

その中で私の心を深く打った一説がありました。以下抜粋します。↓

個々の人間をより有能な治療家にするための訓練を与えることは、私の第一の関心事ではない。私が目指すのはグループ治療であり、今日の私の関心事はグループという形で行われる働きである。

しかし、グループのメンバーがお互いを愛し、互いに奉仕しないならば、グループが一つの単位として機能することは不可能である。不調和や批判があるならば、霊的ハイラーキーの治療エネルギーがそのグループに流れ込むことはない。

したがって、どのような治療家のグループであれ、最初に行う仕事は自分たちの愛を確固としたものにし、グループの理解と結束に取り組むことである。

 

私はこの1節に深く頭を垂れてうなづきました。

今関わっているGAPを伝える役割においても、チームでで行う様々な仕事においても同じようにそれは言えるのだと思います。

 

そして続けてDKはいいます。

治療グループを統合し、グループのメンバーのオーラを混ぜ合わせるときは忍耐が必要であるということをここで指摘したい。

完全な理解と、非人格性を持って働くと同時に必要とされるグループのリズムを生み出すひたむきさを達成するには時間がかかる。(中略)出し惜しみせずに、無口になることなく、グループに示すように自らを訓練しなければならない。

「自分がやっている」という太陽神経叢の意識をハートに引き上げることが大事なのですよねえ。

判ってはいるけど、なかなか難しいものです。

 

人と行う仕事には、忍耐+どう自分が燃え尽きないでいれるかが最大の課題だと思います。

どうか私の魂よ、エゴを焼き尽くせ!

 

ディープリスニングを終えて

ディープリスニングを終えて

この3連休1日目は、GAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のST(スチューデントティーチャー)クラスでした。

2月にクリスが来日して以降初のクラスだったので、STで結構真面目に打ち合わせをしてから望みました~。

テーマの「ディープリスニング」は1ディでやるには少々ボリュームが多すぎるかな?という感じでしたが、なかなか良いクラスになったと思います。

私は、セラピーとしての「普通」のゲシュタルトを学んだことはないし、養成コースなどに参加したこともないので、心理療法の理論は全く入ってなく比べようがないのですが、「このGAPはやはりセラピーではないのだ、教える側も学ぶ側も両方が、探求する側、そしてそれをサポートする側に役割を交代するものなのだ。イコールなんだ!そしてそこがこのGAPの根幹なんだ」ということがどれだけ大きなことかということに思いを馳せました。

エサレンの創始者のひとりでクリスの先生+パートナーだったディックプライスがそこを大切にしてこのワークを作ったのが、教える側になってよくわかります。

「自分が、自分の専門家であること」「権威を自分に取り戻す」ということがどれだけ大切な事か!

自分自身に耳を傾けるとは気づきであり、そこに選択が生まれる。

ということを感じた1日でした。

教えることは、学ぶことです。。。。。と毎回つくづく思います。

 

GAPSTクラス「ディープリスニング」

GAPSTクラス「ディープリスニング」

今週末19日(土)はGAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のSTスチューデントティーチャー(長年講師のクリスティン・プライスから学んできた生徒であり教える人)のクラスです。

テーマは「ディープリスニング」 聞くとは何か?私たちはどういうときに「本当に聞いてもらった」と感じるのか?ということを探求していきます。

私たちが「聞く」ということを相手に提供するとき、それはhow toではなく、どう在るのか?という質に関わっています。

自分を捧げすぎず、空っぽのボウルになったように、ハートもマインドもオープンにして「聞く」ということを、GAPにおける「非介入、非分析、非助言」でどういれるか?でと言う事を学んでいきます。

そして相手に向けるその聞き方でどう自分を聞くことが出来るか?という点を実は最も重視します。

これはセラピーではなく、プラクティス(実践)なのです。

グループでそれを何度も繰り返し学んでいきます。

ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス初めての方も参加できます。

共に学んでいきましょう!

3月19日(土)10時~17:30

お申し込みはナンディルームのフォームからではなくこちらオープンセンスのHP  からになります。

詳細等はこちらをご覧ください。

 

 

全てのものに席がある

全てのものに席がある

今日はすごい風が吹いています。セッションのシーツを干したままだったので、寝ながら「取り込まなきゃ~~」とうなされてたのだけど、朝起きたら案の定すべて吹き飛んでいた。洗濯やり直し。。。。

クリス来日プログラムは今日までなのだけど、私は11日の1ディで今回の参加は終わりました。

11日の1ディプログラム「壊れているのなら直さないとは?」も素晴らしかったです。

クリスのワークの根幹にある、変えようとするよりも、まずは変えようとする対象と、じっくりと出会ってみよう。

ということがテーマでした。

それぞれが、自分にとって「何が壊れていると思ってるのか?」ということに出会って行きました。

私が選んだのは「わからない」という感覚。

例えば、人の話している事や、ある概念、世の中の知らないこと、そういう事に対して、「わからない」と思うと「今ここ」に居れなくなってしまうのです。

「わからない」ということに出会うと、分かろう、分からないからどうしよう。。という思考が次々に湧いてきて、「わからない」という感覚に実はじっくりスペースを与えていなかったのだなあということに気づきました。

わからないという未知の感覚に身を置くことを怖いと思っている自分にもハローと言ってみると、「知らない、わからない」ということに出会うのが楽しみになってきました。

クリスも、サポートする人の在り方で一番いいのは「村の愚か者でいることだ」といつも言っているし。

自分のわからなさにオープンでいて、好奇心をもっているという態度を人に対してだけでなく、自分自身にも向けることができるかというのは、大きな学びになります!

ゲシュタルトセラピーの創始者のフリッツ・パールズは「痛みを避けるときに、成長は止まる」と言ったそうだけど、クリスはそれを「(喜びを含めた)あらゆる感覚を避けるときに成長は止まる」と言い足していました。

でも、「避けてはいけない」という新しいルールを作るのはやめましょう。ともクリスは言います。

あくまでこのゲシュタルト・アウェアネス・プラクティスは、セラピーではなく、プラクティスで、自分自身に耳を傾けてそれに従うというのが基本なのです。

次回の来日は9月になるらしい。

1ディが終わったあと、ST(スチューデントティーチャー)のみんなで浅草寺にお参りにいきました~~。ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス

 

 

GAPドリームワークを終えて

GAPドリームワークを終えて

週末は、来日中のクリスによるゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(通称GAP)のドリームワークでした。

日本でドリームワークとして3日間やるのは初めて、3日間も夢にフォーカスできるなんてなんて贅沢な!と思っていましたが、結果3日間じゃ足りない~~、というくらいの濃い内容でした。

ドリームワークでは、夢に出てくるフィギュア(物、人、場所)の全てが自分の一部であると定義しています。

夢の中に出てくるモノに、席を与えてそれとして生きてみる、その席に声を与えて表現することで、それが自分にとっての真実に触れることを助けてくれます。

GAPの大きな要素「なる(entering)」というプロセスを今回は時間をかけて、ゆっくりじっくり何度もやっていきました。

このからだごとそのフィギュアに「なっていく」というプロセスを、クリスはシャーマニックなものだとも言います。

自分自身を頭だけの存在として認識するのではなく、意味が分からなくても今まさに起きようとしているプロセスと共にい続けること、そこに驚きと発見があるのです。

私の探求の成果は、変化していく速さに恐れが湧いてくる自分のパターンに気づいたことでした。

「ああ、私は今も変わっていこうとしていて、それは私にとっては怖いことなんだ、良いことでも悪いことでも」

ということが腑に落ちました。

3日目の最後におとぎ話に出てくるフィギュアのい全員で「なる」っていうのをやったのですが、それも素晴らしかったです。

私は墓石になったのですが、墓石として「私には名前がある」そして、「それぞれの人に名前がある」といった時に深いところからこみあげてくるものがありました。

自分自身が自分としてしっかりと存在していることを受け入れて、私として在ること、そして他者もそれぞれがその人として居ること、そして繋がりあっているということが私にとっての大きなテーマで今生の課題と言ってもいいものなのです。

おとぎ話の「墓石」からそのことが出てくるなんて!感動でした。

明日はビギナーも参加できる1ディです。

明日も、楽しみます。ドリームワーク