今月も実家に帰って来ました。
感染者がうなぎのぼりなので躊躇する気持ちはあるものの、最近の父は体力も気力も、一人で暮らす能力も落ちる一方なので、やはりサポートが必要なのです。。。
北九州空港では、無料のPCR検査をやっていて、これはすごく助かりました。
空港から最寄りの駅までいくバスがくる間に急いで唾液を採取したら、「は、早いですね!」と係の人に驚かれてしまった。
介護施設で働いている時は、週に一度の唾液採取だったので、PCR慣れしているのですよ。。。
もちろん陰性でした!
実家のナンディみやこルームでもぼちぼちセッションをして良い感じのスティルネスに入っています。
実家の父は、認知症状が進んできていて、表情がぼーっとした顔になっています。
話しかけても反応も今一つ。
初日の夜に私の部屋である二階にいたら、夜、父が二階に上がってきました。足が悪くなってから二階に来ることなんかめったにないのに。
私の顔を見て、「二階に電気がついてたから」と言って微妙な顔をしたので、「もしかして私が居るの忘れてた?」と聞くとうなずく父。そして朝には既にそのことを忘れている。。
ががーん。。。。。
そして朝、父は必ずポーチドエッグ風にお湯の中に落とした卵を作るのですが、今回起きるとそれがない。。。
そして「卵がもうないのう。。」というのです。
そう、冷蔵庫の中の卵の場所が分からなくなっているのです。
母が亡くなるまで、父が母の介護をしていて、広い庭や畑の草取りも草刈りも、1人で鎌一本でやっていた根性と体力のあった父。
食事の準備も買い物も全部父。介護疲れで後半はイライラしてとてもしんどそうだった。
母が死んで3年で、毎月行くたびに出来ないことが増えていくのが切ない。
私は介護施設で長年働いてきたので、かなりあらゆる種類の認知症の高齢者を沢山たくさん見ているので、驚きはしないし、受け止める力もあると思うけれど、やっぱり胸が締め付けられるのです。
それでも、私が東京に帰っても父は一人でここで生きていかなくてはいけないので(しかも他者の介護を拒否るので)冷蔵庫に「卵はここに入ってます」とか、薬の管理もできなくなってきているので、お薬カレンダーも作って貼り付けておいた。
これから冷蔵庫の張り紙は益々増えそうだ。
私の頭蓋骨への遠隔のおかげか(父は触られるのも嫌がるので)、私がいて、色々うるさく言ったりするので刺激になるのか)三日目くらいから、目に光が見えてきて、言葉も多くなって、食べる量も増えてきたので、少しだけほっとして帰路に着きました。
あついなか、1日かけて草取り草刈り木の剪定などをしながら、この土地を守っている木や土の神様に「父を守ってね」とお願いし、仏壇のご先祖さまや母にも父をよろしくと長めに手を合わせてきました。