新年もスタートして、あっという間に日が経ってしまいました。
みなさま、良いお正月を過ごせましたか?
今年はここ数年で一番寒い気がしますね。もうダウンを着ることもないかと思っていたのですが、最近は手放せません。
私は新年早々激動の日々を過ごしています。
毎日がプラクティスの連続です。
新年明けて、12日の日に父が救急搬送されました。前回搬送されたのは誤嚥性肺炎だったのですが、今回はベッド脇で倒れているところをヘルパーさんによって発見され、心拍が落ちていたので前回よりもより深刻でした。
第一報で意識はあると言われたので、ホッとして移動中の電車に乗ったのだけど、救急のドクターからの切迫した電話で、「心拍が下がっているので、ペースメーカーを入れるオペの許可を下さい!」と言われ、流石の私も胸のドクドクが止まリませんでした。
延命はしないと決めていたので、訪問のドクターや姉にも相談し、「入れません。」と断った時は声が震えました。
幸い、心拍は順調に回復したのだけど、「意識があるうちに会っておいて下さい」と言われ、セッションスケジュールを全てキャンセルして、病院へ。
飛行機の中でも、なんとなくすぐに逝ってしまう感じはしなかったので切迫感はなかったのだけど、案の定救急のドクターの切迫した声色よりは元気でした。
私が「誰か分かる?」と言うと「ひろみやろ」と言ってくれたけど、あらゆる所に管が付けられ、抜かないように拘束されていました。
前回同じように救急搬送された時は、帰る帰ると立ち上がって大変だったのだけど、今回はそんな元気もあるはずもなく、そのままICUに入院となってしまいました。
土日がオステオパシーのセミナーだったので、福岡に帰った時点で参加は難しいかなと一度はキャンセルを考えたのけれど、前回のように父は「帰る!帰る」と立ち上がったりとてもじゃないけど言える状況じゃないので思い切って一泊二日で東京に戻り、なんとかブリージングオステオパシーのセミナーに参加。
ヘトヘトだったのだけど、まずは参加出来て良かったです!
呼吸器に働きかける実際的なワークが盛り沢山で、直ぐに臨床で使えるものばかり。
実習では、毎回寝落ちしてしまい、私の疲労もだいぶ回復しました。
ワークを終えて、病状受けもあったのでまたまた福岡の実家へ。
ドクターの面談後に数日ぶりに会わせてもらえました。
鼻腔から経管栄養を入れていて、尿を取るバルンカテーテルも留置されていました。
そして両手は管を抜かないようにプラスチックのケースの中に入っていました。
安定剤のせいもあるのか、認知症も一気に進み、極度にボーっとしていて、私の事は判るものの、自分の名前も言えない状態になってました。
でもプラスチックの隙間から指を入れて父の指を握ると、握り返してくれました。
「きつい?」というと「きつい・・・」との返答。
この後はもう面会も叶わないので、「手を振って!」というと、そのケースごと頑張って手を振ってくれました。
一時間に一本のバスまでかなり時間があるので、しばらく歩こうと川沿いを歩きながら人通りがないのでわんわん思いっきり泣きました。
先月別れる時には、体調も良くなっていたのに。
あの状態ではとても家には帰れない。
入院はしたくない、施設には入りたくないと言っていたのに、それを叶えてあげれなくなってしまった。
実家に帰ってくると、父の気配が消えた家が寂しくて、こんな風に父は私がいない時はずっとこの一人でこの広い家にいたのかと思うと更に悲しくなってしまいました。
いつも配達してくれていたお弁当屋さんにお金を払いに行き、ついでに役場にも緊急通報装置のお金を払いに行ったら、中高の同級生が働いていてつい今の状況を話してしまった。
長々と話し込んでしまったけれど、4年前に母親を亡くして父親は独居と同じような境遇にあったので、話を聞いて貰えて少し落ちつきました。
緊急入院した時も、タクシーでの移動の道中運転手さんたちが本当に良く話を聞いてくれました。
東京だと黙って乗っている感じだけど、こちらのタクシー運転手さんは良く喋る。
みんな多かれ少なかれ親の介護に携わっているので、自分達の体験も話してくれて、ああどこも親が老いていくという事は色々大変なんだなぁと言うのが分かって、話をした後は胸の中に空間が出来る感じがしました。
近所のおばちゃんにも報告。いつも裏の落ち葉掃きをしてくれたり、家の灯りが灯っているか見てくれている心温かいおばちゃん。
入院したと話したら「命拾ったね、よかったね」と言ってくれてジーンとしました。
みんな温かく優しく、共感してくれて、話を聞いてもらうということが自分の痛みの回復になるのだなあということを身をもって体験できました。
自分はそれが出来ているのだろうか?と我が身も振り返りました。
「聞く」と言うことに対して更に理解が深まった日々でした。
そしてセッションも助けになりました。本当に自分にこの仕事があって良かったなあとも思いました。
実家でもセッションをしているのだけど、施術でスティルネスの中に入ると、自分自身の傷や痛みも回復していくようで、徐々に現実を受け入れられるようになって来ました。
何故かセッションはいつもより静かで深くワークができるのは不思議なことでした。
それは神様からのギフトなのかもしれない。
新年早々長々と自分の痛みについての投稿となりましたが、それでも命の営みは続いていきます。
最近コロナ後の不調やワクチン後遺症の患者さんを診ることや相談を受ける事が増えました。
それだけ、たくさんの人がこの問題に直面していると言う事ですね。
先日のブリージングオステオパシーでも「鼻呼吸が大事」という話を散々していました。
それはまた後日シェアしたいと思います。
今年も、健康と生きる質についての体験を深めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
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