GAP1ディzoomクラス「グリーフ&サポート」

昨日春分の日は、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の遠隔zoomクラスでした。

今回、コロナ問題で講師のクリスの1年ぶりの来日が叶わず悲しい思いでしたが、zoomというツールを使って遠隔ウェビナー開催の運びとなりました。

パソコンやiphone,などのツールを使って、それぞれ離れたところ(在宅で)繋がり、みんなの顔が見れます。

身体感覚を使う事、「今ここ」そしてグループでの輪を大事にするGAPを、どこまで体感できるのかな?と少し懸念もあったのですが、かなり良かったです。

久しぶりにどっぷりクリスのワークを体験できました。

そして、今のような「人が集まれない」状況においても、それぞれのつながりを感じたり、今この瞬間に十分に居続けることが出来る時間と空間をグループで体験できることの大切さを味わいました。

このzoomでは、参加者が小部屋に分かれることもできて、ペアワークもできるんです!これが画期的に感じました。

なので、レクチャーだけでなく体験的なワークも充分できます。

今回のテーマはグリーフ(悲嘆を嘆く)だったのですが、グリーフは自然にあることで、それはヒーリングのプロセスであるということがまず前提としてあり、それは亡くなった人に対することだけでなく、あらゆる変化に当てはまるという事。病気や、加齢、今まで出来ていたことができなくなるなど。

午後の時間は、過去には充分それに向き合うことが出来なかったことに出会っていきました。

それが一人ではなく、自分自身を感じながらもしっかりと聞いてくれる人がいるというのは本当に豊かな時間でした。

私は、一周忌を終えた母のグリーフが出てきました。

子供の頃から人一倍感情を強く感じて、怒ったり笑ったり悲しんだり。しかもいつまでもそれが続いてしまう。

それに対して、自分がストッパーをかけていたことに気づきました。

「いつまでもそんなに悲しんではいけない」と

探求を始めたら、自分が小学生くらいの子供に戻ったような気持ちになって、自分のことを気にかけてくれている存在がもういないことがとても心細く感じました。

母に直接話しかけてみたら、「お母さん」っていう言葉がどんどんでてきて、母に「お母さん」っていいながら、とめどなく涙が出てきました。

もう肉体的に私がお母さんと呼べる存在はいないんだな。。。と後から改めて思いました。

母に「お母さんが良いお母さんじゃなくても、どんなお母さんでも、お母さんに居てほしい」という言葉が出てきて、それを母に(目の前にあったのが丁度ノートだったので、ノートの母に)言うことが出来ました。

それは、母である自分に向けた言葉でもあるのかもしれない。

母への赦しと、母である自分への赦し。

私にはこんな時間が必要だったなとしみじみ思いました。

コロナのおかげで仕事が減ってたりして、いつもよりも自由な時間が取れて、それはそれで自分には必要な癒しの時間かもしれないと思うようになりました。

クリスの言う、どんな悲惨な状況においてもそこになんらかの良い点、価値があること、得るものがあるということ。

そこに気づくことで、やはり人生が豊かになるなあ。。。。

来週は5日間の在宅リトリート!少人数でじっくり毎日プラクティスが出来るなんて、超幸せです。

また色々報告しますね~~~。