私のもう一つの仕事場で100歳のおばあちゃんが亡くなった。
脳幹出血、100歳でした。
その日の昼間も中庭で一緒に洗濯物を干し、植木鉢の中に雑草を見つけると即座に抜き始め、出てきた新芽に「元気に育てよ!」って声をかけていたのに。
終戦の日が誕生日で、100歳のお誕生日の日には、息子さんと職員とお祝いして歌って踊った。
職員のほうが張り切ってしまって、1か月くらい前からこっそり手作りお祝いグッズを準備していた。
感情が豊かで、お祝いの花を見ては泣き、手作りの久寿玉や旗を見ては泣き、炭坑節を調子っぱずれに歌っていた。
トイレの介助をしても、洗濯をしても、食事が運ばれてきても、いつも「ありがとよ」と必ず言ってくれた。
若いころからお蚕をやり、機織りをし、畑仕事をして、うどん打ちが得意で、地域の婦人会のリーダーだったらしい。
関東大震災も経験していた。5歳くらいだったらしいがおばあさんに言われて大柱に捕まっていたって言っていた。
ご主人はいい男だったが大酒のみだったらしいが、その話を聞いたことはない。
一度粗相をしたことがあって、「死んだ方がましだ」をウォーウォーと大泣きしていた。
新しい利用者さんがくると、「茶だしてやんな」と仕切っていた。
手作業で色塗りをやってもらうとすごい集中力で、色合わせを考えつつ、素敵なセンスで塗っていた。
一日に何度も、帰るとか、菜っぱ取ってくるとか、雨が止んだから峠越えるとか、風呂沸かしてくるとか言い出し、私たちを困らせた。
普通に別れたその日の夜中に、あっという間に逝ってしまった。
もうあの笑顔を、優しさや、明るさや、ちょっぴりエロくて、ユーモアに富んでいて、そんなおばあちゃんに会えないことがとても寂しい。
彼女がいた部屋の窓から見えるところに湧水があってそこには大きな木があって、車いすにのって窓から外を眺めていた。
亡くなった後、荷物が片づけられたその場所に立つと、下では子供達が遊んでいて、木が風にそよそよと揺れていた。
その風の中に彼女がいる気がした。
青い空の下、軽やかに優しく風に乗ってそよいでいる。
ああ、全てのものは一つなんだなってことが少しだけわかった気がする。
誰もかれもが、すべての生きとし生けるものが、宇宙の一つの現れなんだな。
お別れはないんだな。
この雨だれの一つ一つ粒の中に彼女がいる。
昨日はお通夜で、棺の中の彼女はまるで生きていた時とおんなじ顔で、まるでただ眠っているだけのようだった。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
いつも私たちに言ってくれたように空に向かって言ってみた。