プラクティカムから戻りました

ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティスクリスのGAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)のワークショップから戻りました。

5泊6日、過ぎてみたらあっという間でした。

駅まで送るバスの時間のギリギリまでワークをするクリス。。。さすがです。

今回も相当濃厚な時間でした。

プラクティカムは、理論と体験をミックスしたクラスで、対象はGAPを一定期間受講したことがある人。

基礎もしっかりやるのですが、それに加えて今回は、「自分自身と共にいることそして相手とも共にいることを学ぶ」コミュニケーション(クリスはコミュニオンともいう)が大きなテーマでした。

一例としては同じ部屋になった人たちと毎日一定の時間ワークをして、ニーズを言う、聞くという時間を取ったり。

「自分が他者に何を期待しているのか?」

自分が傷ついたと思うとき、相手に自分が傷ついたことの責任を預けている。自分が「傷ついた」と感じるその「感じたこと」の責任は自分にある。

責任というと、強いいい方な感じがしますが、GAPでは「オーナーシップ」自分自身に権威がある。というのをとても大切にしているのです。

自分自身が自分の専門家であり、自分が感じることは自分自身しかわからない。誰によってもそれを定義づけることはできない。

分析、アドバイス、判断をしない。というのがGAPのゴールデンルールでもあります。

それが自分が自分の感じたことの責任をとる。ということになるのです。

コミュニケーションでよく陥りがちな相手を悪者にすることなく、自分の[感じた]ことをじっくり見ていく。そのやり方は、本当に役に立ちました。

それが他者との関係性で居心地の悪い感情がおきたりスイッチが入っているとき、自分の中に何がおきているのか?を知る助けになります。

自分自身の感じていることをじっくり時間をとって探求していくと、そこに本当に今必要なプロセスが立ち現れて来ます。

それが「プロセスを信頼すること。」だと思います。

私もGAPを始めて最初の頃は、どこかに行こうとしていたと思います。この今自分が探求していることの答えを出さなきゃと思っていたと思います。

「今ここにいる」という事のチカラはすごいものがあります。それは、単なるトラウマ解消や、未解決なことを完了させること(それも含みますが)以上の力を持っているのです。

からだの叡智ともいえるかもしれないけれど、私たちは自分自身がどうしたら治療が起こるか?を知っているとクリスはいいます。

でもそれは、よりゆっくりと静かに自分自身に耳を傾ける。ジャッジしないで、答えを見つけようとすることをやめたときに起こるのです。

というようなことを改めて学んだ時間でした。

5泊6日って長いな。。。と思うのですが、過ぎてみるとあっという間。

初日には自分の中で何が生まれようとしているのかがはっきりしてなかったのだけど、自分自身に居続けることを通じて、段々全容が現れてきました。

合宿場所の伊豆高原には霧がずっとかかっていたのですが、時折霧が晴れて大室山がすごく近くにくっきりと現れてくることがあって、そんな感じ。

時間をかけることでもやっとしていた自分自身の中がくっきりと見えてきて、鮮明になってくる。そんな感じです。

その間には、不快な感情や居心地悪さも通っていくのだけれど、それとも共にいれるようになってきたのは、このGAPを長年続けてきた成果ともいえるかもしれません。