昨日飛び込んできた訃報に飛び上がった。 敬愛するペシャワール会の中村哲医師がアフガニスタンで襲撃されてなくなったのです。
中村哲さんはペシャワール会の代表で、医師でありながら、アフガニスタンの復興のために灌漑設備を整備し、井戸を掘り続けた人。平和、そして非戦を貫き、憲法九条の重要性についても説き続けていた。
若かった23歳の頃、私は中村さんにお会いしたことが在る。パキスタンのペシャワールで。
ペシャワールと言う街はアフガニスタンに近く、1993年当時、内戦で逃げてきたアフガニスタンの難民キャンプも沢山あり、アフガン人も沢山いた。
私はバックパッカーで、ペシャワールの乾いた大地と、多民族の行きかうアフガンの匂いに惹かれ長期滞在していた。
たまたま同じ宿にいた大学生の旅行者が病気になって、原因がわからずどんどん状態が悪くなっていくので、「日本人の人がいるクリニックがある」といわれ、彼女を連れて長期滞在の日本人私ともう一人の男性とで、彼を訪ねていった。
それが中村さんのクリニックだった。彼はパキスタンの民族衣装シャルワールカミースを来て、どう見ても日本人には見えなかった(アフガニスタンあたりには、モンゴル系の人もいて、日本人風の顔の人もいるのです)。
無料でその病気の人を診てくれ(感染性の四肢が麻痺する病気だった)結局彼女は日本に搬送されたのだけど、私たち旅行者もクリニックに泊めてくれた。
その時は、彼がそんな立派な人とは知らず、ワイルドなパキスタンにいるお医者さんとしか思わなかったのだけど、飄々とした立ち振る舞いと、私たち貧乏旅行者にも、大使館の人にも、パキスタン人やアフガン人の患者にも、誰にでも同じに接する姿が印象に残っていて、帰ってからペシャワール会の活動を知って、かの地で何十年もアフガニスタンの大地と人をサポートし、井戸を掘る姿を心から尊敬し、応援していたのです。
危ない場所でもあるので、こんな風に銃撃される可能性があることは、彼が一番知っていたのではないかと思うのですが、それでもこの土地で使命を全うし、人のために尽くした。本当にすごい人だったと思うし、残念でしょうがない。そして悲しい。。。
心からご冥福を祈ります。