母のグリーフ(悼み、悲しみ)のワークを出来たのは、奇しくも私の誕生日の日でした。
その日を、自分の生まれた日というよりは、母が私を産んでくれた日と言う風に私には感じられました。
肉体があって、この世でこの地球上でいろんな旅をさせてもらえる。悲しみも喜びも体験させてもらうのは、母が私を産んでくれたからなのだと思うと、その日の朝は感謝の気持ちで一杯でした。
生きているときには、そんな風に思ってはいなかったのだな、、、と思うと申し訳ない気もしました。
その日はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の経験者だけの1ディで、私は自分がじっくりと充分に時間を取って母に向き合う必要を感じていました。
自分自身の感覚にゆっくり触れていくとすぐに、胸が痛くてちぎれるようで涙がどんどん出てきました。
私が最後に見た母の姿は、人工呼吸器を挿入された母の姿でした。
その姿の痛々しさがどうしても頭から離れず、母を思い出すときはその姿がフラッシュバックしてきて、元気だった時の母の姿や、笑顔を思い浮かべることが出来なくなっていたのです。
GAPのやり方では、何にでも座布団に置いて直接話しかけることが出来ます。
その人(人以外でも、動物、建物、景色、夢の中に出てきたものでも、死者にでも)を目の前の座布団に置いて直接話しかけるという行為は、お互いの間に直接的な関係が出来ます。
母を目の前の座布団に置いただけで、ごめんね。。。という言葉と思いがあふれてきて、どんどん涙が出てきました。
母をあんな姿にはしたくなかった。自分の力でもっと元気にしてあげたかった。。。
それが叶わぬまま、母を逝かせてしまったことは、私の中の痛みとして大きく残っていました。
辛い気持ちの自分を一旦おいて、今度は母の座布団に入りました。
GAPではそれをenteringといいます。(自分の考えや見方を一旦自分の席において、座布団に置いた存在に入ること)
母になると、その座布団の上の母は人口呼吸器を挿入した母ではありませんでした。
若い時の母のように活力にあふれている母ではなく、老人になった母でしたが、穏やかでした。
その母は、私に向かって、「ひろみ、ごめんね、お母さんも死ぬとおもわんやったから、びっくりした。からだに気を付けて、風邪ひかんようにね。」
と言ったのです。
思えは母は私の心配ばかりしていました。若いころは、その心配がうっとうしかった。病気になって、自分のからだがしんどいときも、しばらく電話しないと、風邪でもひいているのじゃないか?と心配ばかりしていました。
座布団の上の母は、そんな母でした。
自分の席に戻って、その母の声を聞くと、今度は温かい涙があふれてきました。
そして、私の中の母が、生き生きした母に変わりました。
今も、時々空の上に母を感じると涙がでます。
料理や片付けがめっぽう苦手で、プライドが高く、人の目を気にして、すぐグダグダ悩む。
癇癪を起したり、わがままを言ったり、なんとも人間らしく困った母でしたが、母は私の大事な「お母さん」でした。
命に終わりがあることは、知っていたけれど悲しいものです。
呼吸が苦しく毎日大変だった5年間、本当にご苦労様、大変だったねと言いたいです。
治癒ということの何が正解か、未だに私は探求中です。
ただ、母が死を持って見せてくれたものが、まだ言葉や形にはならないけれど私の中に息づいています。
それを私が、命を輝かせ生命を全うしようとする、生きとし生ける誰かをサポートするために使えるように、この両手を使って、また精進していこう。ね、おかあさん。