GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)基礎クラスを終えて

ゲシュタルトアウェアネスプラクティス先週末はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)の私たちティーチングスタッフによる基礎クラスでした。少人数ながら、柔らかく繊細で、かつオープンな空気に包まれてそれぞれが深く探求できる時間になりました。

参加していただいた皆様、ありがとうございました。

今回は2日共、ティーチングスタッフの理論担当メンバーが午前中いなかったので、私が苦手な理論的な部分もカバーする必要があり、結構準備をがっつりかけました。。。

クリスのGAPを受講していた10年くらいは、ずっと体験の中だけにいたので、クリスの話の中にGAPの概念や理論的な部分がこんなにちりばめられているなんて、全く気づいてなかった!

でも自分が教えるようになって、人に説明するためには理論的な部分をカバーする必要に迫られて、まずは説明も苦手なのだけど、自分の中で体験を分類分別して整理することを頑張ってやっているのです。

バイオダイナミクスもそうだけど、体験は、からだの或いは脳内のどこかを変容させ自分の細胞に沁みわたっている。それはすごいことであると思っている。

が、それと教えるのでは使うチャンネルが違うのですね~~。というか違うチャンネルも使う必要がある。

TVでも、NHKだけだとかなり物足りない。多重的な層を言ったり来たりする能力を鍛える必要があるのです。

成熟化ということをGAPでもよく言いますが、人としてその多重な層を言ったり来たりする能力は、人によっては1つのチャンネルはすごく感度が良くて、テレビ埼玉は全く映りが悪いって場合もあるし、その反対もありえる。

ある人にはぴんと来ないことも、違う角度から説明するとうんうん良くわかるというのもあるし。

ということで、成熟化の物差しのかなり初期にいるけれど、そこにたどり着こうとはしています。

そして、もう一つはフィールドということがある。

場のちから。

今回はそれをすごく感じました。

初めてGAPを経験する人も、長年やっている人も、分析や、批判批評されないで安心できる場、その空気感が深く探求する場には欠かせないなあと実感した。

お互いが、サポートし合える場、そしてその「サポート」は誰かを助ける!という在り方ではなく、自分自身でいていいんだよ、というそのままに対する励ましである。

そのGAPの根幹にある概念が私たちのそのフィールドを支えているんだなあと。

みんなで作り出す場、それが大好きです。