死を考えると、自分にとって何が一番大事かが見えてくる

死を考えると、自分にとって何が一番大事かが見えてくる

最近、身近な人が二人立て続けに亡くなりました。

寿命というにはまだ結構若い,私よりも少し上の世代で、共にシングルマザーの先輩でもあり、偶然にも同じ病気を患っていました。

先に亡くなった方の葬儀には福岡にいたので参列できなかったけれど、もう一人の友人の葬儀には参列することが叶いました。

若い頃は儀礼的なことを避けてきましたが、今は、儀式というのはすごく大事なことなのではないかと思います。

故人を悼む気持ちを持った人たちが、共に痛みと思い出を共有する、なんて貴重な時間だなと思います。

葬儀に参列して、友人の棺にお花を手向けながら、彼女との思い出が鮮明に蘇ってきました。

息子タシがまだ数ヶ月の乳飲子だったころ、近所を散歩していて畑の畦道で偶然再会したこと。

それは20代の頃、通い続けていたワークショップで彼女と初めてあってから、何年も経ってからでした。

思えば不思議な縁で、息子を保育園に入れるため仕事を探していると言ったら、彼女に介護の仕事を紹介してもらい、思ってもみなかった高齢者の介護の仕事が始まったのでした。

そしてそれは、私にすごく向いていた仕事だった!その時出来た縁は今も続いているし、その新しい出会いを作ってくれたのが彼女でした。

幼い息子のヘルパーもしてもらったこともある。

私のセッションも何度も受けてくれたし、今月に2度ボディワークをやりに行っている知的障害の人たちの施設に招いてくれたのも彼女だった。

彼女は当時そこでアートセラピーをやっていて、「アートができない人たちに体からのアプローチはどうかな?」と自分の持っている枠を一つをボディワークのために分けてくれたのだ。

葬儀で、長年会ってなかった喪主の娘さんに「タシくん(私の息子)のこと、覚えてますよ」と言ってもらって、子供が小さい頃、みんなで集まってご飯会をしたりしたなあということも思い出した。

お姉さんたちに遊んでもらって、タシも嬉しそうだった。

日々の生活に追われて、頭の片隅に追いやられていた記憶がどんどん蘇ってくる。

棺の中にみんなでお花を入れながら、きちんと彼女が肉体から離れたことを認識して、感謝とお別れが伝えれたことはすごくよかったと思う。

辛いんだけれども、濃密で貴重な時間でした。

葬儀の後、お茶をして彼女の思い出話などもして、帰ってきたらドッっと疲れて、座り込んでしまい、暫く立てないほどだったけれども。

夜も暑さのせいもあるのかうまく眠れず、何度も目が覚めては彼女のことを思い出していた。

死は全員に平等にやってくる。

早かれ遅かれそれは確実だ。

私たちは、ではどう生きるか?

先に亡くなったもう一人の友人は、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のスタディグループで一緒でした。

アレクサンダーテクニークの教師をしていて、私よりもだいぶ先輩だったが、率直で嘘がなく、真っ直ぐで勇敢だった。

スタディグループが終わったら飲みに行こうと約束して、西荻のホビット村の2階で一緒にビールを飲んで、初めてリラックスして彼女と話せた。

また行こうと約束した日に母が倒れて約束はキャンセル、その後すぐコロナ禍になって一度も会うことが叶いませんでした。

三浦の実家に引っ越したというのは聞いていて、会いに行きたいなと思っていながら連絡を取っていませんでした。

葬儀の日は福岡だったので、棺に入れてもらうために手紙を書いていたら、GAPでの彼女の真っ直ぐで、嘘がなく、パワフルで、彼女にしか出来ないワークの数々が思い出された。

そして昨日の午前にその彼女を悼んで、zoomでクリスとスタディグループのメンバーで時間を持つことができた。

長年一緒にワークをやっていたみんなとサークルを囲んで(オンラインだからスクエアだけど)みんながここにいるというのを味わった途端に、自然に涙が流れてきた。

日常生活の中では、感じられなかった自分の痛みや悲しみの感情が「時間をゆっくり取って今この瞬間にい続ける」ことで溢れてきた。

全員が一人一人時間をとって、彼女に向けて浮かんでくる言葉と、彼女を知ったことで自分の中に持ち続けたいものを伝えた。彼女のスピリットもきっとあの瞬間サークルの中にいたと思う。

クリスが最後に言ったのは「自分の死を考えると、生きている間に自分にとって何が大事かが見えてくる」ということ。

そしてこんな実践ができるよ、と教えてくれたのは、

これが自分にとって最後の1週間だとしたら、今それをどのように使いたいのか?

未完了のことは何か?

許したいことはあるか?あるいは許してほしいことは?

感謝を伝えたいことはあるか?

さよならを言いたいことはあるか?

いつでも死の準備をしていて遅いことはないと。

この貴重な命をどのように使いたいかを改めて自分に問うてみようと思う。

長いブログになりましたが、読んでいただきありがとうございました。