朝、いきなり電話がなった。
田舎の友人から、幼馴染の男の子が亡くなったと。
突然のことすぎた。
保育園から高校までずっと一緒で、沢山一緒に遊んたその友達の死を知らされてもなかなか実感がわかなかった。
20年以上、会ってなかったから。
仕事が一段落つきセッションルームの木の椅子に腰かけて、その友達の保育園からのあだ名を声にだしてみたらどっと涙があふれた。
5~6年前クリスのGAPのワークで「死んだ人について悼む、話す」というのをやったときに、私のどこにそんなに涙が入ってたのか!と自分でも驚くくらい泣けて泣けて仕方がなかった。
山で亡くなった友人と、介護で関わった90過ぎのおばあちゃんについての思い出を話しているときだった。
どちらも死に目に会えなかったので、「悲しむ」という回路がフリーズしたままだった。
私の亡くなった幼馴染はガンだったらしい。看護師をしていて、仲間や後輩から慕われていたらしい。
結婚をして、子供もいたみたい。
私の中のその友達は、やんちゃですっとぼけていて、ユニークで、いつも憎まれ口を叩いたり、ふざけ合ったりした。
小さいころは、兄弟のようによくプロレスごっこやゲームをしたものだった。
高校の頃も、二人とも数学がだめな落ちこぼれで、赤点の追試の前に一緒に勉強したりした。
でもお互いに全然わからなくて、結局勉強にならなかった。。。
私のことをいつも「ブー!!」って呼んでいた。はは。。。
彼が職場で慕われていたのが良くわかる。
いつも冗談を言ってるようだったけど、ハートは暖かく優しい人だったもの。
この世にいなくなったなんて、本当に信じられない。
でも、どんな悲しみにでも、痛みにでも居場所があると教えてくれたのはGAP。
こうやって、泣いたり、思い出したりする充分な時間と空間を持てたことを嬉しいと思う。
だって、この世で出会えたことは宝物だから。
きっとあの世で痛みから解放されて、のびのびしていることだろう。
若くして亡くなった、彼の弟に会えただろうか?
キムチ、沢山の笑顔をありがとうね。