大鹿村探訪記

大鹿村探訪記

長野県伊那郡にある大鹿村に行ってきました。ここは知る人ぞ知る新住民の多いところで、ミュージシャンやアーティストの移住も多く、ヴァルナギータの内田ボブさんも住んでいる伝説の村。大好きな詩人のナナオサカキも最後はこの村で迎えたらしい。

私が23歳だった昔むかしにインドで会った友人が、結婚して子供も三人育てあげて「山の食堂するぎ農園」というお蕎麦屋さんをやっているのです。

行きたい行きたいと思いながらなかなか行けずにいましたが、遂に実現しました。

標高1000メートルの大鹿村、夜は満天の星にあふれ、人の声も車の音もしない素敵な場所でした。丁度紅葉シーズンで目の前の山は色とりどりの木々。

夜はもうすでにめちゃ寒かったけど、すごく居心地よかったです。

そこで、小さなワークショップをやらせてもらったり、昼間はお店を手伝ったり、自家栽培もしている手打ちそばをごちそうになったり(めちゃめちゃ美味しかった!!!)大鹿の住民の方と友人夫婦が参加しているストレッチクラブ?に参加させてもらって交流させてもらったり、ドライブしたり、かなりのリフレッシュしてきました。

旅してた頃の破天荒なシーンを色々思い出してしまった。その頃はそれが普通でちょっとした無茶もできてしまったんだなーと実感。

友人たちと話しているとまるでその頃にタイムスリップしたようで、気軽に身軽に何の気も使わずに楽にいれる自分がいるのでした。

なんだかこういう感覚ってずっとしばらく感じてなかったような。。。

なんだか、10歳ばかり若返った気がします。

大体私って、しっかりしているようで抜けてるとこがあって、それで失敗しちゃったり間違えたりするのだけど、旅してた時にそういう時になぜか助けが降ってくるので、それで何とかやっていけた気がしてて、今もその自分の力ではどうにもならない力に依存しているのかもしれないと。

それはバイオダイナミクスでも、自分の力でやろうとするのを手放すというところとも似ているのかもしれないと思ったり。

兎にも角にも楽しい旅でした。

するぎ農園のこーたろうさん、のりこさんありがとう!

ワンコのナツや猫のシロクロちゃんや、餌を狙ってやってくるおたふく顔の近所のボス猫にも癒された―。

みなさん、機会があれば是非するぎ農園のおそばを食べに行ってみてください。夏にはブルーベリー狩りもありますよ。

 

 

 

ブッダの心

ブッダの心

今月も実家に帰ってきました。

ギリギリな感じで一人暮らししている父が、先月からまた一段階落ちていて、その暮らしぶりと姿にハッと胸を締めつけられることしばしば。先月は、私が帰ってきたことを忘れて、夜私の部屋の電気が付いていたのを見にきたけれど、今回は着いた次の日に私が帰るものと思い込んでいました。

「何時か?」と朝起き抜けに聞かれて、最初意味がわからなかった。(何時に帰るのか?と言っていた)

冷蔵庫の食べ物が全然減ってなくて、その代わりに補食のお菓子が減っていて、毎日食べていた卵や納豆を食べることも、どうも忘れているらしい。

一つ一つに胸がぎゅうっとなる。

そして、薬を飲むのを嫌がり、どうしても病院も行ってくれない。

私が子供の頃は凝った料理は全部父が作ってたほどの器用さで、父の天ぷらや、太巻きが大好きだった。

うなぎも捌いて蒲焼にして、食べていた程だった父。

もう料理もできないので、弁当を頼もうか?というと人の作ったものは好かん!とかいうので今まで頼めなかったけど、生命の危機を感じて今回ついに半ば強引に隔日で頼むように手配してきてしまった。

尊厳と生命の狭間で悩みながら、ブッダの説いた生、老、病、死の苦しみがリアルに痛みとなって響く。

誰にでも平等に与えられているこれらの苦しみを今私もこうやって味わっているんだな。

避けられないなら、共にいる。痛みと共に共にいる。

本人の望むように、人生の最終の折り返しを伴走しながら、胸をチクチク痛めたり、夜中に目覚めて泣いたりしながら。

そうしながらも、朝焼けの美しさや、季節のささやかな収穫物を父と分け合いながら、まだまだ笑ったりも出来る幸せを噛み締めながら。

そうやって過ごせる日々はかけがえのないものに違いない。

感謝しかない

感謝しかない

21年間非常勤として勤務した介護施設を退職しました。

この二年間ほどは父の介護に毎月福岡に帰っている事もあって、あまりに忙しすぎてなかなか勤務時間を確保するのが難しくなってきて、かなり悩みましたが退職を決意しました。

私がこの施設で働き始めたのは、息子が9か月で保育園に入園した時からでした。

職場と保育園が近かった為、お昼休みにはおっぱいをあげに通っていました。

シングルマザーで働きながら、エサレンマッサージの認定コースに通い、クレニオからバイオダイナミクスに出会い、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)に出会い、結構なお休みをいつも取らせてもらって、学びを深められたのもこの職場があったからです。

この職場で働くまでは介護の仕事をしたことはなかったのですが、何が必要とされているかを感じ取る能力と、頭ではなく感覚とからだを使うことと、言葉ではないコミュニケーション力、そして何より体力があったため、続けて来れた気がします。

「私が死ぬまで辞めないでね」と言っていたおばあちゃんがいて、部署が変わっても毎週昼休みにお話をしにお部屋に伺っていました。

当時すでに96歳で高齢だったけど、編み物が上手でマフラーを編んでもらったり(本当はもらっちゃダメなのだけど)、手仕事のやり方を教わったり、若かりし頃の話や、政治の話などをベッドサイドに座ってするのが楽しみでした。

母が逝去したときも、「どうだったの?」と言われてポロリと涙を流すと「悲しいよね、、、いくつになっても」と言ってくれてその優しさが胸に沁みて沁みて助けられました。

東京新聞を購入していて、料理のレシピを私のために毎週切り取って取っておいてくれて、家事の話でも盛り上がってました。昔のなんにもない頃のくにたちの話とか。

「そろそろお迎えが来てもよいのに」と言っていたその方が、2年ほど前高熱を出して入院して、更に入院中に脳梗塞になってしまって、私の顔もわからなくなって寝たきりになってしまいました。

その時私の役目は終わったなと思ったのだけど、そこから辞めるまでに更に一年以上を要してしまいました。

機が熟しても実がぽとりと落ちるまでにはどうも時間がかかるタイプのようで。

熟し切って、遂に退職をしたけれど、そのせいか思い残すことも、後ろ髪惹かれることもなく去っていけました。

昨日は、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のオンラインクラスで、タイトルが「サポートの質を探求する」だったのですが、ワークのデモンストレーションでサポートに話しかけたりなったりしたときに、今まで関わってきたお年寄りたちが思い起こされて、彼らが「中川さーん」って呼んでいた声や、まなざし、そして必要なサポートを差し出すことが出来たことに感謝の念が湧いてきて、デモなのに結構激しく泣いてしまった。。。

誰もが通る「年を取る」ということを沢山たくさん感じさせてくれて、その助けが出来たことに感謝だらけです。今まで関わったお年寄りズはほとんどがもう向こう側に行ってしまったけれど、そのまなざしや手触りは今も私の中に残ってます。

本当に感謝しかない。

一つのステージが終わり、より自由にのびのびとナンディルームで皆さんをお待ちしてますねー。

 

絵

インド友達のももちゃんにオーダーしていた絵が完成して、昨日その絵を持ってきてくれた。

お願いしたときに注文したのが「stillness」でした。

初にお目見えするその絵の箱を開けて、絵を見ていたら、じわーと涙が出てきた。

そのじわーっと出てくる涙は、そのままじわーっと流れ続け、その涙の出方がいつもの涙とは違うことが不思議だった。

私の涙は、たいていがドバドバと出てくるのだ。時にはジャージャー。

その絵に描かれた何かが私の中に不可思議な響き方をしたのは間違いないのだけど、言葉にすると太古の意識なのかもしれない。

その絵の奥の奥まで入って、沈んで行けるような、そんな深さを持った絵。

ももちゃんは、描くときに私のハイヤーセルフと繋がって描いたという。

自分が描くのではなく、描かされるという感じかもしれないけど、それはバイオダイナミクスのセッションととても似ているなあと思った。

バイオも自分でやるのではなく導かれる。注意を引かれる。連れていかれる。

その素晴らしい絵をセッションルームの壁に掛けました。

そしてももちゃんにバイオのセッションをした。

深海の海へ降りていくような、そんなセッションでした。そして平和があった。

ももちゃん、ありがとう。

ももちゃんの絵はここで見れます→サマディアートライブジャパン

 

無事に引っ越しました

無事に引っ越しました

5年と10カ月続いた「ヒーリングスタジオ102」を引き払って新しいところに引っ越しました!

自宅でセッションしていた頃からのクライアントさんや、ここ102で新しく出会った方との涙や笑いそしてスティルネスも!色んな縁を紡いだこの場所とお別れしてきました。

引っ越しって新しい場所が決まるまでにも紆余曲折あり、物件探しや決まってからもアレをどーするこーするってかなりのエネルギーで、頭もからだもフルに使ってましたー。

新しい引っ越し先は今までのところから15分程なので、荷物をコツコツと移動させたり(徒歩か自転車で、、、)新しい部屋のシェアメイトと、一緒に使うにあたっての諸々を話したり。

14土が引っ越し日で、主に時間を費やしたのがめちゃくちゃ繁ったジャスミンとワイヤープランツを掘り起こす作業と、二階にまで繁った葉っぱをひっぺがす作業。。。アパート壊れそうでした。。。

植木鉢に植えたはずの根っこは地面まで深く張っていて、入居した時はめちゃカサカサだった土がフカフカの良い土になってました。

植物に愛されるフラワーエッセンスのシェアメイトのゆづかさんのおかげですねー。

次に入居する人が入る頃には、きっと取りきれなかった根っこから葉っぱが出て繁っている気がする。。。。

新しいセッションルームも国立です。

15日からセッションを始めてます。

マッサージベッドもこの機会にリフォームに出し、ピカピカのスキンに張り替える予定です

北口から今度は南口になって、富士見通りをひたすら歩いたかなり終わりに近い場所になります。

ご近所には、自然派お菓子のフードムードさんや、甘味ゆいさんや、古本屋さんの門さんなどがあります。

今まで北口しか知らなかった方は富士見通りや南口の美味しいもの、小さなお店散策も楽しみつついらして下さいね。

年内にいらして頂いたお客様には、ささやかな美味しいギフトもご用意しています。

リクエストも頂いているので、少人数での「からだの声を聞く」ワークショップも再開しようかなあと思ってます。

この部屋で起きる新たな化学反応が楽しみです。

新しいナンディルームを今後ともよろしくお願いします。

感謝って大事

感謝って大事

先日実家に帰省した折の話です。毎回5:50分立川発のリムジンバスに乗るのですが、羽田空港まで先月はかなりギリギリの到着。

JALのお姉さんに「乗せてくれるかどうか確認します」と言われ「今回だけですよ」と念を押されて、本気で走りました!

なのに、先月と同じなら行けるだろうと思ってたらさらに渋滞度アップしてましたー。
渋滞にはまって空港に着いたのはチェックイン終了の20分前を2分ほどオーバーしてて機械で受け付け出来ず。。。

北九州空港のゲートって相当端っこの6番ゲートなのです。。。
正規料金を買い直す値段がちらつきながらも、無事に機内に入れました!

ホッとしたら、超感謝の気持ちが湧いてきて。
そして一番におもったのは、今日みたいに何とかなった時ではなくて、うまく行かなかった時や、チッ!って思ったり、泣けて来るくらいの挫折感を味わった時や苦しい時も、感謝を忘れないようにしようって事でした。

今年は色々一筋縄で行かない事や、困難や危機感を感じることがいくつかあって、そういううまく行かなかった時に感謝の念が欠けてたなあって、なんとかなった時に思った話でした。

どんな時も、そこに必ず感謝するべき事はあると、GAP のティーチャーのクリスはよく言うのだけれど、確かにそこに欠けているのは私達の気づきの方ですね。。。

良い時は忘れがちなので、天はうまく優しく気づきのベルを鳴らしてくれたのでしょう。

全然関係ないのだけど、今までの公共機関乗り遅れは、デリー→バラナシ間の日付1日間違えてて、気づかずに駅に行ったら前日の切符だった件、、、。粘ったら切符を再発行してもらえました(さすがインド!)
そしてインド時間に慣れすぎてた日本帰国後、福岡までの高速バスに乗ろうと、東京駅八重洲口で迷い乗り遅れてしまい、窓口で事情を話すも「乗り遅れは再発行出来ません」ときっぱり言われ「半額でも。。。」と言うと無言で窓口のシャッターを閉められた20代。。。。長年インドに居過ぎてビジュアルもかなりやばかったはず。。
乗り遅れじゃないけど、ネパールの国境を越えてデリー方向に行くはずが電車を間違えて、寝台列車で夜ゆっくり寝て目覚めのチャイを飲みながら「あと何時間でデリーかなー」って隣の人に聞いたら思いっきりビハール州だった(インド好きにしかわからないかもだけど、正反対のカルカッタ方向に行ってたのです。しかも朝まで気づかずに!)牛たちが、線路やホームでもぐもぐしてる駅で、デリー行きを待った時のなんとも言えない気持ち。。。。

バラナシで電車が全く来なかった時も会って、苦情を言ったら「でもそのお陰で君はインドをもっと味わえるじゃないか!」などと諭され、バラナシ大好きで離れ難かった為泣来ながらそうだ、そうだ!と感動した事など。。。若かったなー、自分の20世紀。