灰になった後

灰になった後

9月で論文制作を終えてやっと今はのんびりしています。

いやいや、一旦灰になってから回復するまでには時間がかかるものだなあと身をもって体験しています。

特に神経系の緊張。

論文制作に勤しんでいた3月後半〜9月中、特に7、8月はひと月の論文締め切りが3つとかでした。

加えてセッションや、実家への移動もしながらだったので、本気のフル稼働でした。

その中でも、Wi-Fiが使えないとか、ユーロの振込ができないとか、すでにキャパがオーバーなのにやってくる「それできないと進まないでしょ!」問題などをバッサバッサとチカラ技で乗り切りつつ進んで行きました。

もう隙間がないのに、個人的な問題も出てきたりして、なぜ今????ってことも多々ありましたが、まあなんとかかんとか乗り切って、やればできるもんだっ、なんなら頭もちょっと良くなった気がするもしたりして。。。

でもこれって短期決戦(半年)だからできたことなんだなあと実感しています。

終わってしばらくは終了ハイで、この半年間、友人たちと飲みに行ったりご飯に行ったりしなかった分、がが〜〜と人に会ったりしていましたが、やっとそれも落ち着きました。

となると、眠くて眠くて。

半年分の睡眠不足をやっと取り戻しているようです。

夏の暑さに加えて、夜までパソコンに向かっていたので、目の疲れもあって、夜中に何度も目が覚めてしまっていたのですが。久しぶりにやっと継続睡眠が取れるようになりました。

神経の緊張、、、、やっと緩んできた。

いろんなことをこなしていた倍速モードから通常モードに、やっと戻ってぼーっとしている自分に気づいて、ああやっと回復してきていると思いました。

こうやって神経系が回復するのには思ったより時亜kんがかかるということが分かったのも大きな収穫。

自然のリズムを押さえつけても、やるべきことに付き合ってもらった私のカラダさんに本当に感謝です。

自分がまだまだ無理が効くってのが分かったのもよかったけど、やはり細やかさは失ってしまうようで。。。

ゆっくりご飯を作ったりのんびり食べたりしてなかったもんな〜〜。

と思って栗ご飯を作ったりしてました。

からだの声と共にありたい。。。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

年が明けましたね。

昨年はまさかの能登地震とJALの事故で不穏の年明けでしたが、今年はまずまずの平和な一年の始まりになりましたね。

我が家は、一人暮らしの息子が大晦日に熱を出し、案の定のインフルエンザでした。

ここ数年は何故か一緒に年越しできない私たち。

今年もそうなるんじゃないかな。。。と思いながら息子の好きな栗きんとんは一応作ったのですが。。。。予感通りの年の始まりでした。

新年は一緒に過ごせない運命なのかも。。。。

お節って子供の頃からずっと分担して作っているので、今年も漏れなく作ってしまった。。

なのでお雑煮とお節デリバリーをしに、息子のアパートを初訪問しました。

息子のアパート、男の一人暮らしっぽく、台所汚かったな。。。でもこんな機会でもないとなかなか行かないので訪問できてよかったし、道中の多摩川の河川敷が広々していて、ここ国立とはまた違って気持ちよかったです。

昨年は、友人が何人も亡くなりました。お互いに仲良くしていた3人組が3人とも去年亡くなってしまったのは何という悲しい偶然の一致でしょうか。

一人は突然死で、二人はガンでした。その中の一人は癌が見つかる前からセッションにきてくれていて関係性も深かったのですが、暮れにあっという間に肉体から離れてしまいました。

病棟でインフルエンザが蔓延していて面会が禁止になっていたのだけれど、年内持たないかもしれないと妹さんから連絡をもらって面会に行く日に、本人が病院でインフルエンザになってしまい、面会が叶わずあっという間に亡くなってしまいました。

行けないからとせめて遠隔をしている時、全身から金色の光が輝き出したのでもしかしたら今日なのかもしれないという予感はあったのです。

年も押し迫っているので斎場はお休みで、大晦日に安置されている葬儀場にお顔を見に行ったら眠っているような安らかな顔で、入院してからずっと痛みとの戦いだったので、ああ、もう痛くないんだなあと思ったら涙が溢れてきました。

痛くて辛くて、それでもとても我慢強く弱音を吐かなかった彼女。

5月に入院して、10月に一旦退院して自宅に戻ったけれど、結局自宅で過ごせたのは2週間くらいでした。

「病気は誰でも見つけることができる、健全を見つけなさい」というオステオパシーの創始者ATスティルの言葉を長いことバイオの指標にしていたのに、痛みに苦しむ友人の姿に感情的に引きずられずに関わるのはすごく難しい事でした。

そして、頻繁に会っていたのに、どう最後を迎えたいか、死にゆく事について語る機会は全然持てなかった。その死というのが余り遠くない未来すぎて、そして入院先は面会時間が15分しかなかったので、ちょっとの時間でもセッションしたかったので、ただ寄り添う時間はなかなか取れなかった。

どうにかしてあげたいとずっと思っていたけれど、そうするよりただ一緒にいて話を聞いている方がもしかしたら彼女に必要だったのかもしれない。

でも、触ると解凍されたように呼吸が楽になったり、ああ落ち着いたというので、やっぱりそれで良かったのかもしれない。

お正月で斎場がお休みだったため、昨日が彼女の葬儀だった。

斎場は、休み明けで掲示板には30分刻みでぎっしり予定が。。。

参列して家に帰ったら、身体中の力が抜けてしばし腑抜けになってしまった。

この世に肉体を持って生きている事は、とても貴重な事なんだなと改めて思う。

縁ある人と関わりながら、生きていく。

命とは何か?サポートとは何か?死とは何か?

年の初めに投げかけられた問いに、取り組んでいける一年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

師走ですね

師走ですね

早くも師走も二週目になりました。

日々は瞬く間に過ぎ去り、今年ももう20日余り。

2024年が終わって行こうとしています。

皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

コロナを経て、じわじわといろんなことが変わって行ったような気がします。

コロナ禍の時よりも、5年経った今の方がよりその変化を感じています。

いつの間にか巷のスーパーや商店がセルフレジになっていたり、レストランでも注文をケータイでするようになっていたり、夏でもインフルエンザが流行っていたり、、、。

余りネガティブなことを書くのは憚られますが、自分のからだの主導権を人に渡さないで欲しい、権威のある人にお任せしないで欲しいというのが、2024年を締めくくる私からのメッセージです。

自分で選択して、それを選んでいますか?

コロナのワクチン7回目とか8回目とかって普通ですか?

特に10月から接種が始まったレプリコン型ワクチンは、日本でしか認可していない危険なものだと私は思っています。

持病がある人、高齢者はワクチンを打ちましょうと政府は宣伝していましたが、そう言う人こそ不要なものを体に入れるのには慎重になって欲しいと思います。

自己増殖型mRNAの長期にわたる影響はまだ未知のものであり、警鐘を鳴らしている人も多くいる中、それを体内に入れるのは大変危険なことだと思っています。

それでなくても、私自身はコロナワクチン接種には反対しているのですが、レプリコン型には更に絶望的な気持ちを持っています。

流石にもうそんなに打つ人はいないだろうと思ったのですが、団地のおばあちゃんが「コロナワクチン打ってきて腕が痛くて上がらないの」って平気で言っているのを聞いて、「ああ、、、本当に打つ人いるのか。。」と思ったわけなのです。

コロナ後の世界は益々分断されていくようにも感じたり、水瓶座の時代がやってきて更に無意識にフォーカスしていくような時代に突入したようにも感じたり。

世の中の動向から一歩引いたところにいたいと言うのが、自分のスタンスなのですが、なかなかそうはいかないようです。

2025年が明るい未来であることを願っています。

自分自身や周りの人を大切に、愛と希望を失わずに、足の裏を感じて行きましょう。

良いお年を!

ナンディルームは12月は30日(月)まで営業します。

新年は4(土)から始めます。

最終週はご予約が埋まってきていますので、年内に受けたい方はお早めにご予約をお願いします。

 

10月になりました

10月になりました

リソース(資源)って大事

早いものでもう10月ですね。

やっと風も少しだけ秋の気配ですね。

四季ももう二季になった感じですが、今日なんか夏のような暑さ! 九月もなんだか盛りだくさんでした。

日々に流されてしまわないように、地に根を張って生きていきたいものです。

毎月福岡の実家に通ってもうすでに6年。

毎月なんて大変ですね。とよく言われますが、私にとって大地に自分を繋げてくれる大きなリソースになっています。

10年くらい前になると思うのですが、オーストラリアの先生で数年前に亡くなってしまったティーチャーのジュディ・ジャッカ先生にエソテリックヒーリングを習っていたことがありました。

アドバンスコースでメルボルンに行ったことも。

彼女が熱心に教えていたのがバイブアクシスという空間にある地層の中の栄養素を取り込むワークでした(エソテリックヒーリングではない)

超感覚と知性の両方を使うなかなか難しいワークで、結局自分のものとして理解して使うことは出来なかったのですが、ジュディ先生はそれはそれは熱心にこのワークを実践していました。

それによると、お母さんのお腹にいた8ヶ月〜出産の間にお母さんが丸い玉をポロリと落とす。その落とした場所に私たちはエネルギーを十全に得る場所がある。

なので、その方向に向いてヒーリングをすることでエネルギーを得ることが出来る。 という摩訶不思議なもの。。。。

ジュティさんのご自宅の庭に、彼女が作っておいてくれたその地層があって、その上でヒーリングを受けて随分浄化して健康になった気がしたものでした。

まあそれはさておき、そのワークを受けていた頃(まだその頃両親は生きていました)母がその玉を落としたんじゃないかな〜〜という場所が見つかった気がしたのです。

それは、私が生まれた家があった場所の庭だったところで、今は家もなく、庭もなく、父が植えた巨大な銀杏の木が風にそよいでいる場所なのですが。

自分の育った家は、8歳の時に壊されてしまったのだけど、小さいながら私にとって、その頃の風景は原風景となって今もありありと思い出すことができます。

古い家の玄関や、広い縁側、床下にあった蟻地獄の巣。「おにぎりの木」と読んでいた大きな茶梅の木。八重咲きで白とピンクの花がが一緒に咲く小ぶりの梅の木が大好きでいつまでも見てられた。

畑のところに咲く野の花を摘んでいつも一人で遊んでいた、小さい私。 多分その頃、木や花とお話しできたんだと思う。その頃を思い出すと、人の姿は全然そこにはなくて、木々や花や精霊たちの気配とキラキラの光に満ちているので。

私のGAP(ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス)の先生のクリスは、このリソースにつながるというのをとても大切にしていました。

自分が根っこから離れてしまっている時、辛かっり悲しかったり怒りに支配されて自分と一緒にいられない時、このリソースに繋がり直す、離れても何度もそこに戻ってくる、そのためにも自分の薬箱にこのリソースを幾つか用意しておくのが大事だといつも言ってました。

 

今度の10月31(火)の1ディワークショップでは、午後の心の時間にこのリソースを思い出すワークをやるのも良いかな〜〜とふと思いました。 普段のからだの声を聞くワークショップの拡大バーション「からだと心の声を聞く1ディワークショップ」はあと2人ほど入れます。

自分自身とゆっくり出会う時間を! ピンと来た人はお問い合わせくださいね。↓

[からだと心の声を聞くワークショップ]

日時:10/31木9:30〜16:00

(間に1時間くらいランチタイムあり)

午前のみ参加の方は、その旨お書き添え下さい。

場所:国立市の公共の施設(お申込みの方にお知らせします)

定員:6名

料金:5千円(午前のみ参加の方は3千円)

持ち物:動きやすい服装、飲み物、会場で食べる方はお弁当

ご予約はこちらのフォームにてお願いします。定員になり次第締め切ります。

 

死を考えると、自分にとって何が一番大事かが見えてくる

死を考えると、自分にとって何が一番大事かが見えてくる

死を考えると、自分にとって何が一番大事かが見えてくる

最近、身近な人が二人立て続けに亡くなりました。

寿命というにはまだ結構若い,私よりも少し上の世代で、共にシングルマザーの先輩でもあり、偶然にも同じ病気を患っていました。

先に亡くなった方の葬儀には福岡にいたので参列できなかったけれど、もう一人の友人の葬儀には参列することが叶いました。

若い頃は儀礼的なことを避けてきましたが、今は、儀式というのはすごく大事なことなのではないかと思います。

故人を悼む気持ちを持った人たちが、共に痛みと思い出を共有する、なんて貴重な時間だなと思います。

葬儀に参列して、友人の棺にお花を手向けながら、彼女との思い出が鮮明に蘇ってきました。

息子タシがまだ数ヶ月の乳飲子だったころ、近所を散歩していて畑の畦道で偶然再会したこと。

それは20代の頃、通い続けていたワークショップで彼女と初めてあってから、何年も経ってからでした。

思えば不思議な縁で、息子を保育園に入れるため仕事を探していると言ったら、彼女に介護の仕事を紹介してもらい、思ってもみなかった高齢者の介護の仕事が始まったのでした。

そしてそれは、私にすごく向いていた仕事だった!その時出来た縁は今も続いているし、その新しい出会いを作ってくれたのが彼女でした。

幼い息子のヘルパーもしてもらったこともある。

私のセッションも何度も受けてくれたし、今月に2度ボディワークをやりに行っている知的障害の人たちの施設に招いてくれたのも彼女だった。

彼女は当時そこでアートセラピーをやっていて、「アートができない人たちに体からのアプローチはどうかな?」と自分の持っている枠を一つをボディワークのために分けてくれたのだ。

葬儀で、長年会ってなかった喪主の娘さんに「タシくん(私の息子)のこと、覚えてますよ」と言ってもらって、子供が小さい頃、みんなで集まってご飯会をしたりしたなあということも思い出した。

お姉さんたちに遊んでもらって、タシも嬉しそうだった。

日々の生活に追われて、頭の片隅に追いやられていた記憶がどんどん蘇ってくる。

棺の中にみんなでお花を入れながら、きちんと彼女が肉体から離れたことを認識して、感謝とお別れが伝えれたことはすごくよかったと思う。

辛いんだけれども、濃密で貴重な時間でした。

葬儀の後、お茶をして彼女の思い出話などもして、帰ってきたらドッっと疲れて、座り込んでしまい、暫く立てないほどだったけれども。

夜も暑さのせいもあるのかうまく眠れず、何度も目が覚めては彼女のことを思い出していた。

死は全員に平等にやってくる。

早かれ遅かれそれは確実だ。

私たちは、ではどう生きるか?

先に亡くなったもう一人の友人は、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のスタディグループで一緒でした。

アレクサンダーテクニークの教師をしていて、私よりもだいぶ先輩だったが、率直で嘘がなく、真っ直ぐで勇敢だった。

スタディグループが終わったら飲みに行こうと約束して、西荻のホビット村の2階で一緒にビールを飲んで、初めてリラックスして彼女と話せた。

また行こうと約束した日に母が倒れて約束はキャンセル、その後すぐコロナ禍になって一度も会うことが叶いませんでした。

三浦の実家に引っ越したというのは聞いていて、会いに行きたいなと思っていながら連絡を取っていませんでした。

葬儀の日は福岡だったので、棺に入れてもらうために手紙を書いていたら、GAPでの彼女の真っ直ぐで、嘘がなく、パワフルで、彼女にしか出来ないワークの数々が思い出された。

そして昨日の午前にその彼女を悼んで、zoomでクリスとスタディグループのメンバーで時間を持つことができた。

長年一緒にワークをやっていたみんなとサークルを囲んで(オンラインだからスクエアだけど)みんながここにいるというのを味わった途端に、自然に涙が流れてきた。

日常生活の中では、感じられなかった自分の痛みや悲しみの感情が「時間をゆっくり取って今この瞬間にい続ける」ことで溢れてきた。

全員が一人一人時間をとって、彼女に向けて浮かんでくる言葉と、彼女を知ったことで自分の中に持ち続けたいものを伝えた。彼女のスピリットもきっとあの瞬間サークルの中にいたと思う。

クリスが最後に言ったのは「自分の死を考えると、生きている間に自分にとって何が大事かが見えてくる」ということ。

そしてこんな実践ができるよ、と教えてくれたのは、

これが自分にとって最後の1週間だとしたら、今それをどのように使いたいのか?

未完了のことは何か?

許したいことはあるか?あるいは許してほしいことは?

感謝を伝えたいことはあるか?

さよならを言いたいことはあるか?

いつでも死の準備をしていて遅いことはないと。

この貴重な命をどのように使いたいかを改めて自分に問うてみようと思う。

長いブログになりましたが、読んでいただきありがとうございました。

 

8月はなんだかんだ言って忙しかった。。。

8月はなんだかんだ言って忙しかった。。。

こんにちわ。

まだまだ暑いですね〜〜。

本日福岡から戻って参りました。

東京も少しだけ涼しくなってきたような。。。やっと秋の気配ですかね。昼間は暑いですが。

今年の八月はあまりに暑かったので、あんまりセッションもないだろうな〜〜と思っていたら結構忙しい1ヶ月でした。

コンティニュアムムーブメントのクラスにも参加したり、この週末は、福岡にバイオの先生を呼んで勉強会なんかも開催したので、学びの深まった8月でもありました。

長年かかっても解消されない疑問がたくさんあって、今回の2日間で結構謎が解けたので、すごく学びが深まった!(と毎回言っている気がしますが。。。)

ほんと長年やっているからそんなにやってれば出来るだろうと思われていたりしますが、そんなことはなくてほんと亀のように学びの遅い生徒なんです。なのだけど、掴めなかった感覚が掴めてきた時の喜びったらないのです。

そこは少しずつでも、以前とは手が変わってきているなあと思います。

感覚もなんとなく感じるってところから、ああ、よくトムや他の先生が言っていたあの表現はこのことなのか!とか。

10年くらいはサッパリ感覚が掴めず、でもバイオをやめようとかは思ったことなかったのですよね。わからなくてもそのわからなさと一緒にいることの出来る技は、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)から学んだところが大きいのかもしれません。

今回の九州勉強会クラス、まとまりもすごくよくて、めっちゃ良いクラスでした。九州の人だけじゃなくて、広島や岡山の人もいて西日本連合って感じでしたが、みんな真剣に学びたがっていて、しかも皆んな謙虚で。

そんなクラスに参加できてとてもありがたかったし、これからも年に2回九州開催できることになったので、嬉しい限りです。

実家は福岡といえど博多からはめっちゃ遠いので、車で言ってみたいという野望はあったものの、実行せず、最寄りの駅の行橋まで車で言ってそこからは電車で行きました。

なぜなら都会に駐車したことがないから(汗)

なんせ今までコインパーキングにすら止めたことがなかったので、最寄りの行橋(ゆくはし)駅ですらも、緊張しました。

でも出来た〜〜。バック駐車の感覚がなかなか掴めずにいたのだけど、少しずつできるようになってきてます。

まあ運転の方が施術よりもシンプルかな〜〜。皆んな違う人間、違う歴史を持った人なので、セッションの方が毎回難しいなと感じます。でもだからこそやりがいがあるのですけどね。そして少しずつ私もクライアントさんも変化していくのですから。

車の話に戻ると、2日間治療しあって、結構深くそして多岐に渡る領域をやったので、終わったら思った以上にヘロヘロになっていたので、結果やはり電車で行ってよかったなと。

今回の福岡滞在もセッション多め(というか毎日びっしり入ってた)ので、忙しい日々でした。草刈りもしなきゃいけないし、屋根の交換工事も始まったし。

福岡のナンディみやこルームは、東京国立ルームとは来る人も違うので、その関係性や距離感の違いも面白いです。

私がめちゃくちゃ方言になってしまうので、距離も近い感じなのかな。。方言だとより素の自分に近い気がします。

暑さももう一息ですね。

明日から国立ルームでのセッションが始まります。

夏の疲れを癒しに来てくださいね〜〜。