年が明けましたね。
昨年はまさかの能登地震とJALの事故で不穏の年明けでしたが、今年はまずまずの平和な一年の始まりになりましたね。
我が家は、一人暮らしの息子が大晦日に熱を出し、案の定のインフルエンザでした。
ここ数年は何故か一緒に年越しできない私たち。
今年もそうなるんじゃないかな。。。と思いながら息子の好きな栗きんとんは一応作ったのですが。。。。予感通りの年の始まりでした。
新年は一緒に過ごせない運命なのかも。。。。
お節って子供の頃からずっと分担して作っているので、今年も漏れなく作ってしまった。。
なのでお雑煮とお節デリバリーをしに、息子のアパートを初訪問しました。
息子のアパート、男の一人暮らしっぽく、台所汚かったな。。。でもこんな機会でもないとなかなか行かないので訪問できてよかったし、道中の多摩川の河川敷が広々していて、ここ国立とはまた違って気持ちよかったです。
昨年は、友人が何人も亡くなりました。お互いに仲良くしていた3人組が3人とも去年亡くなってしまったのは何という悲しい偶然の一致でしょうか。
一人は突然死で、二人はガンでした。その中の一人は癌が見つかる前からセッションにきてくれていて関係性も深かったのですが、暮れにあっという間に肉体から離れてしまいました。
病棟でインフルエンザが蔓延していて面会が禁止になっていたのだけれど、年内持たないかもしれないと妹さんから連絡をもらって面会に行く日に、本人が病院でインフルエンザになってしまい、面会が叶わずあっという間に亡くなってしまいました。
行けないからとせめて遠隔をしている時、全身から金色の光が輝き出したのでもしかしたら今日なのかもしれないという予感はあったのです。
年も押し迫っているので斎場はお休みで、大晦日に安置されている葬儀場にお顔を見に行ったら眠っているような安らかな顔で、入院してからずっと痛みとの戦いだったので、ああ、もう痛くないんだなあと思ったら涙が溢れてきました。
痛くて辛くて、それでもとても我慢強く弱音を吐かなかった彼女。
5月に入院して、10月に一旦退院して自宅に戻ったけれど、結局自宅で過ごせたのは2週間くらいでした。
「病気は誰でも見つけることができる、健全を見つけなさい」というオステオパシーの創始者ATスティルの言葉を長いことバイオの指標にしていたのに、痛みに苦しむ友人の姿に感情的に引きずられずに関わるのはすごく難しい事でした。
そして、頻繁に会っていたのに、どう最後を迎えたいか、死にゆく事について語る機会は全然持てなかった。その死というのが余り遠くない未来すぎて、そして入院先は面会時間が15分しかなかったので、ちょっとの時間でもセッションしたかったので、ただ寄り添う時間はなかなか取れなかった。
どうにかしてあげたいとずっと思っていたけれど、そうするよりただ一緒にいて話を聞いている方がもしかしたら彼女に必要だったのかもしれない。
でも、触ると解凍されたように呼吸が楽になったり、ああ落ち着いたというので、やっぱりそれで良かったのかもしれない。
お正月で斎場がお休みだったため、昨日が彼女の葬儀だった。
斎場は、休み明けで掲示板には30分刻みでぎっしり予定が。。。
参列して家に帰ったら、身体中の力が抜けてしばし腑抜けになってしまった。
この世に肉体を持って生きている事は、とても貴重な事なんだなと改めて思う。
縁ある人と関わりながら、生きていく。
命とは何か?サポートとは何か?死とは何か?
年の初めに投げかけられた問いに、取り組んでいける一年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願いします。