冬至と炎

冬至と炎

昨日は冬至でしたね。

今日からまた新たなスタートです。

今朝は冬至明けにふさわしく、綺麗な朝焼けでした。

昨日は午後からバイオの勉強会で沢山ワークしてもらったので、腰も頭もスッキリ!かなり脳脊髄液の循環良くなった気がします。

液の循環大事だわー。

今朝も早朝ランしてから、新鮮な気分で1日を始めました。

ご心配をおかけした父の介護も、救急搬送されたのは大変な出来事だったけれども、それをきっかけに介護保険の取り直しもでき、ヘルパーさんや訪問看護や訪問医療など、少しずつ在宅介護の体制が整いつつあります。

完璧な安心安全にはなかなか届かないけれど、父にとってのQOL(クオリティオブライフ)を少しでも高められたら良いなあと思っています。

それは、父の介護という枠を超えて、どう生きるか?という事にも繋がってくるなあと今回改めて思いました。

バイオダイナミクスの施術では、生きるということをサポートします。

そしてただ生きるだけではなく、活き活きというところが大事だなあと思っています。

自分自身に与えられたこの命の輝きを全うするために、どう我々は命を燃焼させていくのか?

その十全に燃やせなくなっているところが何処にせよ何にせよ、詰まっていた煤を払うためにも、熱が、酸素が、光が必要になってくるのです。

炎がしっかり燃えていれば、今世の中で起きている様々な現象にも潰れずに何とか乗り切れるのではないでしょうか?

私も次々にやってくる障害にめげそうになる時は、山に行ったり、大声で歌ったりしてます。

最近はそれを融合して、歌いながら走ってます。

身体が痛くて動けなくなると、これらのことができなくなるので、バイオ大事だー。と昨日もしみじみと思いました。

この前も山に行って大変な思いをしたのですが、それはまた書きますね。

今年もあと10日を切りました。

年内のご予約は30(金)が最後になります。

新年は1月4日(水)よりスタートになります。

来年は2月にバイオの先生のトムが来日し、3月にはGAPのクリスが来日します。

忙しくも充実した日々になりそうです。

 

 

 

 

介護のこと

介護のこと

師走に入って急に冬らしくなって来ましたね。

余りにも暖かい日が続いていたので、つい冬ってこんなもんかなあと思ってました。

一週間前の水曜に父が救急搬送され、急遽福岡の実家に帰ってました。

ちょうど施設でのボディーワークの日だったのですが、母が心肺停止で救急搬送されたのも、この施設でワークの日だったので、心臓が縮み上がるくらいドキドキしました。

誤嚥性肺炎だったのですが、入院はしない、帰る帰るとゴネまくる父。

そして点滴の針を抜きまくる!

結局一泊だけ入院して帰る事に。

免許を返納して近所の病院に変えた頃から病院を嫌がり、遂には行かなくなって一年が過ぎ、血糖値も腎臓も凄く悪くなっていて、投薬も必要だけど、認知症がここ数ヶ月で急激に進んでいて、日常生活もままならなくなってしまった。

先々月認定が出たばかりの要支援1では自宅での介護は出来ないので、認定やり直しの為のリスタートをする事に。

私の滞在中の3日間でどうにかなるように、新旧ケアマネさん達が超特急で動いてくれて、何とか認定調査まで漕ぎ着ける事になりました。

以前から、いつかは訪問診療で自宅で最後まで過ごせれば良いなぁと思っていたので、今後も病院には行かないだろうから、訪問診療で最後まで見てくれる所を紹介してもらう事に。

救急のドクターや、新しく訪問診療をしてくれるドクター、ソーシャルワーカーの人など、目まぐるしく面会をし、今までほとんど人が入る事がなかった実家に、訪問看護婦さん、ヘルパーさん、ケアマネさんなど入れ替わり立ち替わりに入り、たくさんの人に挨拶し、契約書にサインをしまくる。

とにかく施設も医者も嫌な父の願いと安全を確保すべく沢山の人が動いてくれて、本当に感謝感謝。

今まで介護に全く関わって来なかった姉も遂に帰って来てくれたのでバトンタッチして、一旦東京に戻りました。

父は何が何だか分からずだろうけど。

こんなスピードついて行けないよね。

次の日には、入院したことも忘れていたし。

毎日ヘルパーさんと訪問看護婦さんが来てくれると言っても、あとは1人。

心配は尽きないし、家で暮らすという事がどこまで出来るかわからないけれど体制はなんとか整ったかなと思います。

救急搬送された病院のドクターからは入院加療した方が良いと言われたけど、病状受けに行った時、コロナで病棟に入れないのでフロアの談話室でドクターを待っていると、父が病院のレンタルパジャマを来てヨタヨタ歩行で部屋からナースステーションに出て来るのが見えました。

そして遠くにいる私を発見して、こっちにいるよと一生懸命手招きしたのです。

私も遠くから、[これから先生と話があるけ、待っとってね!]と声をかける。

看護婦さんによって部屋に戻され、数分後にまた出てきて、洋美、ひろみと手招きする。

10分間の間に、同じやりとりを三回繰り返して、その姿をみると切なすぎてやっぱり病院も施設も無理だなあと思った。

そんなこんなで、結構大変な状況ですが、それと同時に今まで以上に[支えられている]事への感謝の気持ちをより強く感じています。

ケアマネさんも、私が来るまで父に付き添ってくれたり、お弁当を配達してくれるおばちゃんが心配して電話をくれたり、交流がなかった姉もヘルプに来てくれたり。

そもそも、生協の配達の人が、父が出て来ないのを心配して私にLINEしてくれたのが始まりだったし。

私たちが生きているのは、いろんな人がお互いに手を貸したり借りたりしながらだという事に、子育ての時も実感して来ましたが、今度は父の介護でそれをますます体験させてもらっています。

バイオダイナミクスの施術はまずスティルネス(静寂)から始めるのですが、一周回って、少しだけ自分で頑張る事を手放す事が出来たのかもしれません。大いなる存在にも寄り掛からせて貰いながら、やるべき事を粛々と行う。今はそんな気持ちです。

今回急遽実家に帰ることになり、数名のクライアントさんをお断りさせて頂く事になり、本当に申し訳なかったです。

GAPのクラスもあったのですが、空港からそのまま直接午後のクラスだけ参加すると言う形にさせて頂きました。

今後とも、人の生き死に際してこういう事がないとも限らないので、ご理解頂ければと思います。

コンティニュアム•ムーブメント

コンティニュアム•ムーブメント

この週末二日間は、コンティニュアムムーブメントのクラスでした。

すごーく知名度の低いこの名前を知ったのは私がエサレンマッサージの資格を取ったばかりの頃なので、もう17、8年前に遡ると思います。

今はもうコンティニュアムのティーチャーではないカイオパという先生で、ジャングルジムアプローチという、椅子を使ったりする結構アクロバティックなクラスでした。

[クロニック・スチューデンツ]というマニアックなボディーワークやヒーリングの講師を日本に呼んでワークショップを行なっている団体に出会ったのもこの頃。

クレニオセイクラルを習ったり、エソテリックヒーリングのクラスを受講したり、随分お世話になりました。

バイオダイナミクスオステオパシーのトムの存在を知ったのも、クロニックを通してでした。

最近は随分ご無沙汰しているのですが、コンティニュアムムーブメントだけは、今もmustで受講しています。

コロナ禍になってからは、オンラインのクラスなのでむしろ参加しやすくなって、今までなかなかお会いするチャンスのない先生方からクラスを受けることが出来て嬉しい限りです。

今回は講師はオンラインですが、参加者は東京で集まってクラスに参加する事が叶いました。

やはり、みんなで受講するのは良いなあー。

そもそもコンティニュアムムーブメントって何かというと、呼吸と音と動きを使ったからだの探求です。

O(オー)やE(イー)などその時の探求のテーマに沿った音や、フーブレスやシータブレスなど、特定の呼吸の仕方、そして動きを使ってからだの内側に潜って行きます。

からだの気になる部分にその音を届ける事もあるし、からだの衝動の動きに従ってダイナミックに動く事もあるし、ほとんど動きがなく、内側で起こっている微細なさざ波や静けさと共にいる時間もあります。

そして時々、オープンアテンションといって、ただ静かにからだに気づきを向け続ける時間もあります。

内なるからだとの対話で、生き物としての「私」との時間と空間に耳を傾けます。

この探求を家で1人でも出来ますが、グループでやることでのダイナミズムもあります。

ダイブという時間はまさにそう。

その日のテーマに沿った動きや音をまず一通り練習した後は、ダイブという自分自身の内側にどっぷりと潜る時間になります。

今回の先生のゲイルはどう見ても75歳には見えない可愛らしさと優しさと明確さを合わせ持つベテランのティーチャーであり、ロルファー(ロルフィングというボディーワークのティーチャー)でもあります。

このダイブのロングジャーニーで、時に聞こえるそれぞれの人の息遣いや音、そして動きによって聞こえる衣擦れの音や気配も感じながら、自分自身にどっぷり潜るのが凄く良いのです。

1日目は初心者も参加出来たのですが、2日目はトレーナーを目指す人の為のクラス。

ガチガチに目指してます!って感じじゃないのですが、グループでお互いにティーチングをする時間なんかも一応あります。

お互いに出来る事をシェアするのが、またそれも良い感じなのです。

ふふ。特に写真などないのでイメージも湧かないかもしれないですが、興味のある人はクロニックスチューデンツのページをご覧下さいhttps://chronicstudents.com/continuum_gael_2022/

ギフト

ギフト

木曜日はGAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のイブニングのクラスでした。

テーマはこの人生をどのように生きるか?という2時間余りのクラスにしては、余りにも壮大なテーマでしたが、無事に皆さん良い探求が出来たようでホッとしました。

私も少しだけですが、一緒にティーチィングのスタッフをしている智恵子さんと、メインルームでみんなにチャットなどを送ったり、時間を計ったりしながら、その隙間で探求する事が出来ました。

そもそもこのテーマ、私がしばしば考察しているお題なのです。

実家の草刈りをしながら、散歩をしながら、このテーマがここのところ、行きつ戻りつやってきます。

参加者の中には、やはりこのタイトルががここ最近のテーマだという人もいました。

私が[この人生をどう生きるか私に言って下さい]という問いかけをしてもらって出てきたのは、白い真っ直ぐな道でした。

自分の人生、紆余曲折あったと思っていたのに、浮かんだのは真っ直ぐ過ぎるくらいの道で、しかも白い。

そして私はこれからもこの道を迷わず歩いて行くのだなあ。と思ったら何だかじーんと来てしまいました。

前半はその真っ直ぐな道以外にもう私は寄り道はしないよ!という決意のような物を感じていたのですが、後半それにキツさも感じて周りを見回すと、その周りには丸い白いものが沢山落ちている。

そして、秋の収穫のように寄り道しながら、その丸いものを拾ったり寛いだりするのも良いなあと思えたのです。

そして、また白い道に戻って精進する。

さらにその周りの丸いものを感じていると、空間の広がりを感じました。

実家の周りの大きな木々たちの存在も思い浮かびました。

というのが、個人的な今回のリピーティングインクワイアリー(繰り返しによる問いかけ)での私の体験でした。

その白い道と周りの白い丸いものたちのイメージは、何か私の中にストンと落ちたようです。

その夜、夜中に目が覚めました。

丁度次の日の午前中のセッションが急にキャンセルになった事もあり、そうだ!山に行こう!と思い立ちました。

リンゴと温かいコーヒーと、冷蔵庫に入っていたパウンドケーキを持って朝6時に家を出て高尾山へ。

朝の高尾山口駅は、空気が澄んでいて人も疎らでした。

山になんか10年以上登ってないのだけれど、ハード系稲荷山コースを選んでgo!

最初の登りと最後の階段はきつかったけれど、途中なだらかな所もあったので救われました。

人の少ない朝の山の中は最高に気持ち良かった。

そして、林の中にはスティルネスに満ちている場所もあって、そこに入ると空気や光の質感が変わっていきます。そこを通ると五感でそれに気付きます。

自然が何よりの教師だと言う事がよくわかりました。

そして何より、歩いていてすれ違う人達が街中に居る人達と何だか違うのにも気付きました。

何だか神々しいのです。

もちろんそうじゃない人もいるけれど、ストックをギリギリ使えている山老ガールのおばちゃんなんか、ほんと光っています。

この人達、なんなんだろう?

と山から帰っても、ずっと考えていました。

そして何となくわかったのは、その透明性。

自然の中に溶けこんでいるのです。バイオで言う透明性がその人を通り抜けている。まさに健全によって満たされている状態なのです。

なので、そのヘルスにいる人とすれ違うだけで、何だか幸せな気持ちになってしまう。

そして、こう言う自然の中に溶け込んでいる人を私はかつて良く知っていた。と思いました。

山の頂上にヒーヒー言いながら着くと、15人くらいの人が好きな場所に座って、めいめいに朝食を取っていました。

コッフェルでお湯を沸かしてカップラーメンを食べる人。

おにぎりの包みを開く人。

快晴で、周りの山も見渡せる。

自然に対して小さな人の存在感が、自然の中に溶けていました。

そこで、しばらく時を過ごし、下界の高尾山口に戻ったのが10時くらい。

そこは遠足の子供達や、グループで登る老若男女で賑わっていて、もう朝の静寂は跡形もなく消えていました。

思いがけず朝の山に沢山のギフトとバイオのヒントをもらえた日でした。

GAP の夢のワークでもあるけれど、出てきたイメージを生きると、そこには宝物が詰まっていました。

山ガールデビューしそうです。

10月のお知らせ

10月のお知らせ

今日から10月ですね。

ナンディルームは月曜日が定休日ですが、10/10体育の日の祭日は営業日にして次の日の11火を振り替え休日にさせて頂く事にします。

あと、夏場はおやすみにしていた足湯ですが、そろそろ涼しくなって来たので再開します。

暑い日もあるのでそう言う時は、来てから足湯を作りたいと思いますので、希望は遠慮なくおっしゃって下さいね。

ではでは、今月もよろしくお願いします。

人生は予定通り行かないけれど。

人生は予定通り行かないけれど。

今北九州空港でこのブログを書いています。

月に一度の介護帰省&実家セッション。

今回は日程が少なかったので、ヒヤヒヤしました。

行きの飛行機が台風で欠航してしまい、予定が狂ってしまったので、羽田空港でブログを書いていたのだけど、そのブログもアップロードできず、もう帰りの便になってしまいました。

そしてその便もどうも遅れるらしい。

このタイトル通り、人生は予定通り行かないものなのですよ。。

人はスケジュールを立ててその通りに行かないとストレスを感じてしまう。

私もそう。

何だかんだと次の予定を立てたり、それがダメだった時の代替案をたてたり。

頭はフル回転だけど、この世の中に起こる現象はその私達の小さな脳内のジタバタよりももっと大きい。

結局次の日に飛行機は飛び、どうにか実家に辿りついたのだけど、果たしてマスコミが言っていた程、この台風って凄かったの?と疑問が湧いてくる。

備え有れば憂無し。と言うけれど、今の世の中、備え過ぎて不安を煽ってない?と思わなくもない。

でも実際、果物農家さん達は、収穫前のフルーツが落ちてしまったりしていて、お気の毒ですが。

実家は、枝と葉っぱがめちゃくちゃ落ちてました。

完熟前の栗や柿や銀杏も落ちていて、ああー、あと10日待ってくれれば良かったのにと思う。

なかなか良い時に落ちてくれないものですね。

自然界は文句も言わずに、営みを続ける。

人は小さいなあ、自然界に寄りかかって居るのだなあ。

と、荒れた庭を掃除しながら、蚊にブンブン刺されながら草をとりながら思ってました。

時々、この世界は退化しているのではないかと思う時がある。

ITでいろんな事が可能になったように思えるけれど、なったような気になっているだけで、人の苦悩は昔も今も変わってないし、むしろ増えているのかもしれないなと。

私の仕事は、手を使って、人の健康をサポートすること。

じっと手を見てみる。自分の思っている程逞しくもなく、パワフルでも無さそうな手を。

からだの割に小さくて、でもまあ弱々しくもない手を。

すごくシンプル、そしてリアル。

そして私はそんな世界が好きだ。